中学校から高校受験(茨木高校、洛南高校)までの学習記録

(狭い意味での勉強法や受験に関する事柄は最後の節にあります)

 

中学入学以前の学習記録からいよいよ中学入学、そして高校受験(茨木高校、洛南高校)までを振り返ります。中学受験をした人は学年に一人いるかどうかといった程度だったので、当然のこととして地域の公立中学校に進みました。

 

中1――最大の転機、退塾事件

小学校の勉強にはついていけていたので、中学校に入ってもそれほど戸惑いませんでした。最初の定期テストも平均80点くらいあったと思います。

 

一つ戸惑ったのが英語で、私は初めて習うのに、塾で先取りをしている人もけっこういて、苦手意識を持ってしまいました。youとyourの違いがよくわからなかったことを今でも覚えています。

 

中1の中頃には私の学習人生において最大の転機が訪れます。それは塾を辞めたことです。

 

中学に入学する頃に友人から誘われてある進学塾に入りました。よくできたほうではあったのですが、その塾の競争を煽るような雰囲気に違和感を覚えました。偏差値の高い高校に進学することを当然のごとく目標にして、テストの成績上位者の名前を壁に貼り出すようなところだったのです。他方で中学校の友人のかなりの部分は勉強よりも友人関係の義理などを重視する価値観を持っていました。定期テストの勉強をするという理由で遊びの誘いを断るなどという発想はありませんでした。私もこうした価値観を身に付けていたので、塾に違和感を覚えたのでしょう。

 

塾ではあからさまに反抗的な態度を取っていたので、ある日とうとう退塾を迫る電話が家にかかってきました。また、ほぼ同時期に、上記の価値観から学歴主義に反発して、学校の定期テストでわざと悪い点数を取るということもしました。そして親からは頭ごなしに怒られました。

 

この時期にかなり悩んだ結果、およそ次のような解決を図りました。自分のためだけの勉強はせず他の人のためになるような勉強をすることと、塾には行かずに今まで以上の学力をつけることです。それからは覚悟を決めて勉強に取り組み、定期テストの予想問題をクラスで配ったり友人の質問に答えたりし始めました。この決意をしてから最初の定期テストでは英語で100点を取り、全科目で平均しても95点くらいありました。

 

勉強を放棄するのではなくこのような解決に向かったのは、勉強そのものは好きだったことと、自分は勉強で身を立てるのだという意識があったからだと思います。理不尽なことに対抗するためにも力をつけなければならないということもありました。

 

中2――社会性の目覚め

自分の中での転機を迎えることで、社会への関心も目覚めてきました。新聞をよく読むようになり、図書館でも政治関係の本をたくさん借りました。家には本がほとんどいような環境ではありましたが、新聞と公共図書館が利用可能だったのは幸いでした。

 

こうした意識から学校では生徒会長になりました。特に何かの業績を残したわけではありませんでしたが、朝礼などで話す際には当たり障りのない原稿を読むのではなく、メモは見ずに自分の言葉で語ることを心がけました。

 

図書館では政治関係の本とともに、ギャンブル関係の本をよく借りました。ダビスタというゲームの影響もあって競馬にはまりました。必勝法を求めて、本に書かれた方法を一つずつ自分の手で検証していました。どれ一つとして検証に耐え得る方法はありませんでしたが。

 

高い意識を保っていたので、学校の定期テストの平均点は90点以上ありました。

 

中3――進路の迷い

高校進学を考える段になると進路に迷いました。同級生の多くが進学する地元の公立高校と遠く離れた進学校との間でです。中1の転機を乗り切った考え方からすれば前者を選びたかったのですが、親の圧力もあり結局は後者を選びました。

 

実はこれが根深い問題で、学校の先生方の間でもどちらがよいか意見が分かれるところだったことでしょう。キーワードで言うと「地元集中」か「偏差値」かです。高校にはいろいろな学力生徒がいたほうがよいのか、それとも学力別に高校を編成したほうがよいのかという問題です。私のときは学校の先生からどちらかに強制や誘導されることはありませんでした。そして今でもどちらを選択したほうがよかったのかわかりません。進学校を選択することで結果として学歴的にはエリートコースを歩みましたが、その世界の価値観に適応できなかったものですから。

 

内申書という制度にも疑問がありました。相対評価で10が何人、9が何人…と決められていたので、自分がいい点を取るとその分誰かが悪い点を取ることになったのです。自分の点数の途中経過を聞いて、高すぎると感じて下げるように頼んだこともあります。

 

高校受験――制度と勉強法

結局進学校のほうを受験することにして、公立高校と私立高校を併願しました。

 

当時の大阪府立高校の入試制度は、内申点が440点満点、当日の試験が400点満点の合計で合否が決まりました。内申点は10段階評価をされて、5教科(英、数、国、社、理)は4倍、副教科(音、美、技家、体育)は6倍で計算します。確か私は英語が9、数学が10、国語が10、社会が10、理科が10、音楽が9、美術が6、技術家庭が9、体育が10で合計400点でした。それだけあれば内申点でリードしていることになり、当日の試験は進学校であれば満点に近いところで勝負が繰り広げられるのでそれほど差がつかず、まず合格は間違いないという状態でした。私立高校のほうはどうなっていたのかよくわかりませんが、基本的に当日の試験が重視されたのだと想像します。

 

なぜそこまで制度や内申点のことを覚えているのかというと、当時自分の周りに手取り足取り教えてくれる人がいなかったので、自分で理解するように努めたからです。

 

勉強法としては学校でやることを大事にして、中3になって配布された問題集やプリントを活用してとにかく復習を重視しました。夏休みを終える頃にはかなりの手応えをつかんでいました。

 

数学は得意だったので図形問題でひらめきが足りずに解けない以外はまずどの問題も解けました。国語は漢字や文法はコツコツやってきていたので得点できましたし、大人向けの本をたくさん読んでいたので読解問題の文章も簡単に思えました。英語は最も弱い科目でしたが、それでも練習量でカバーして文型やso ~ that …構文なども何となくは理解していました。社会は公民や時事問題には自信を持っていて地理や歴史も無難にできましたし、理科は理屈を理解したり関連づけて記憶したりで対応できていました。

 

直前期には過去問をしました。私立は何も考えずに言われるがまま洛南高校を受験したのですが、過去問には驚かされました。習っていないことがたくさん出題されていたのです。6割くらいしか解けずにへこみましたが、資料をよく読んで合格最低点という欄を見つけ、その点数は超えていたので、それで大丈夫なのではないかと考えました。合格最低点と比べるという方法は正しいと今でも信じています。

 

私立の洛南高校を実際に受験したときも全部の問題が解けたわけではなかったので気持ち悪かったですが、合格最低点のことを考えてベストを尽くし、合格できました。公立の茨木高校を受験したときは自己採点で数学が満点、その他の科目も基本満点ペースだったので、安心して合格発表を迎えました。

 

 

 




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