問題
以下の事例に基づき,甲及び乙の罪責について論じなさい(特別法違反の点を除く。)。
1 甲(40歳,男性)は,公務員ではない医師であり,A私立大学附属病院(以下「A病院」という。)の内科部長を務めていたところ,V(35歳,女性)と交際していた。Vの心臓には特異な疾患があり,そのことについて,甲とVは知っていたが,通常の診察では判明し得ないものであった。
2 甲は,Vの浪費癖に嫌気がさし,某年8月上旬頃から,Vに別れ話を持ち掛けていたが,Vから頑なに拒否されたため,Vを殺害するしかないと考えた。甲は,Vがワイン好きで,気に入ったワインであれば,2時間から3時間でワイン1本(750ミリリットルの瓶入り)を一人で飲み切ることを知っていたことから,劇薬を混入したワインをVに飲ませてVを殺害しようと考えた。
甲は,同月22日,Vが飲みたがっていた高級ワイン1本(750ミリリットルの瓶入り)を購入し,同月23日,甲の自宅において,同ワインの入った瓶に劇薬Xを注入し,同瓶を梱包した上,自宅近くのコンビニエンスストアからVが一人で住むV宅宛てに宅配便で送った。劇薬Xの致死量(以下「致死量」とは,それ以上の量を体内に摂取すると,人の生命に危険を及ぼす量をいう。)は10ミリリットルであるが,甲は,劇薬Xの致死量を4ミリリットルと勘違いしていたところ,Vを確実に殺害するため,8ミリリットルの劇薬Xを用意して同瓶に注入した。そのため,甲がV宅宛てに送ったワインに含まれていた劇薬Xの量は致死量に達していなかったが,心臓に特異な疾患があるVが,その全量を数時間以内で摂取した場合,死亡する危険があった。なお,劇薬Xは,体内に摂取してから半日後に効果が現れ,ワインに混入してもワインの味や臭いに変化を生じさせないものであった。
同月25日,宅配業者が同瓶を持ってV宅前まで行ったが,V宅が留守であったため,V宅の郵便受けに不在連絡票を残して同瓶を持ち帰ったところ,Vは,同連絡票に気付かず,同瓶を受け取ることはなかった。
3 同月26日午後1時,Vが熱中症の症状を訴えてA病院を訪れた。公務員ではない医師であり,A病院の内科に勤務する乙(30歳,男性)は,Vを診察し,熱中症と診断した。乙からVの治療方針について相談を受けた甲は,Vが生きていることを知り,Vに劇薬Yを注射してVを殺害しようと考えた。甲は,劇薬Yの致死量が6ミリリットルであること,Vの心臓には特異な疾患があるため,Vに致死量の半分に相当する3ミリリットルの劇薬Yを注射すれば,Vが死亡する危険があることを知っていたが,Vを確実に殺害するため,6ミリリットルの劇薬YをVに注射しようと考えた。そして,甲は,乙のA病院への就職を世話したことがあり,乙が甲に恩義を感じていることを知っていたことから,乙であれば,甲の指示に忠実に従うと思い,乙に対し,劇薬Yを熱中症の治療に効果のあるB薬と偽って渡し,Vに注射させようと考えた。
甲は,同日午後1時30分,乙に対し,「VにB薬を6ミリリットル注射してください。私はこれから出掛けるので,後は任せます。」と指示し,6ミリリットルの劇薬Yを入れた容器を渡した。乙は,甲に「分かりました。」と答えた。乙は,甲が出掛けた後,甲から渡された容器を見て,同容器に薬剤名の記載がないことに気付いたが,甲の指示に従い,同容器の中身を確認せずにVに注射することにした。
乙は,同日午後1時40分,A病院において,甲から渡された容器内の劇薬YをVの左腕に注射したが,Vが痛がったため,3ミリリットルを注射したところで注射をやめた。乙がVに注射した劇薬Yの量は,それだけでは致死量に達していなかったが,Vは,心臓に特異な疾患があったため,劇薬Yの影響により心臓発作を起こし,同日午後1時45分,急性心不全により死亡した。乙は,Vの心臓に特異な疾患があることを知らず,内科部長である甲の指示に従って熱中症の治療に効果のあるB薬と信じて注射したものの,甲から渡された容器に薬剤名の記載がないことに気付いたにもかかわらず,その中身を確認しないままVに劇薬Yを注射した点において,Vの死の結果について刑事上の過失があった。
4 乙は,A病院において,Vの死亡を確認し,その後の検査の結果,Vに劇薬Yを注射したことが原因でVが心臓発作を起こして急性心不全により死亡したことが分かったことから,Vの死亡について,Vに対する劇薬Yの注射を乙に指示した甲にまで刑事責任の追及がなされると考えた。乙は,A病院への就職の際,甲の世話になっていたことから,Vに注射した自分はともかく,甲には刑事責任が及ばないようにしたいと思い,専ら甲のために,Vの親族らがVの死亡届に添付してC市役所に提出する必要があるVの死亡診断書に虚偽の死因を記載しようと考えた。
乙は,同月27日午後1時,A病院において,死亡診断書用紙に,Vが熱中症に基づく多臓器不全により死亡した旨の虚偽の死因を記載し,乙の署名押印をしてVの死亡診断書を作成し,同日,同死亡診断書をVの母親Dに渡した。Dは,同月28日,同死亡診断書記載の死因が虚偽であることを知らずに,同死亡診断書をVの死亡届に添付してC市役所に提出した。
再現答案
以下刑法については条数のみを示す。
第1 甲の罪責
(1) 劇薬Xを混入したワインを送付した行為
殺人罪(199条)について検討する。甲は劇薬Xを8ミリリットル混入したワインを自宅近くのコンビニエンスストアからV宅宛てに宅配便で送った。これをVが数時間で全部飲み、Vが死亡したとすれば、殺人罪が成立する。故意に欠ける部分もないし、違法性を阻却する事由もない。
実際にはVはこのワインを飲まず死亡しなかった。そこで殺人未遂罪(203条)の成否を検討する。未遂とは、犯罪の実行に着手したがその犯罪を遂げなかった場合のことである。実行の着手は、犯罪の結果の危険性が生じたときにあったと判断する。本件において、劇薬Xを混入したワインを送付した行為は、実行に着手したと言える。というのも、宅配便で送れば業者がまず間違いなく宛先に届けるし、甲からワインが届けばVは数時間でワイン1本を一人で飲み切り、そうすればV死亡の危険があったと認められるからである。こうした事情は客観的事実であり、甲が認識していた事実でもある。よって甲には殺人未遂罪が成立する。なお、殺人未遂罪が成立する前のどこかの時点で殺人予備罪(201条)が成立するが、これは殺人未遂罪に吸収されるので、そのことを論じる実益はない。
(2) 乙をして劇薬YをVに注射させた行為
(1)と同様に殺人罪を検討する。劇薬Yが6ミリリットル入った注射をすることによりVが死亡している。しかしこの注射を直接したのは乙であり、甲の罪責となるかが問題となる。人を道具として用いた場合には間接正犯として犯罪が成立する。人ではない道具を用いた場合と区別する必要がないからである。甲は、乙は自分に恩義を感じていて自分の指示に忠実に従うと思って注射を指示しているので、乙を道具として用いている。乙は容器に薬剤名の記載がないことに気づいたにもかかわらず、その中身を確認しないままVに劇薬Yを注射した点において過失があったとのことであるが、それでも道具性は失われていない。というのも、乙の過失は確認をしないという不作為であり、自分の意思で積極的な行動をしたわけではないからである。よって甲には間接正犯として殺人罪が成立する。
(3)結論
以上より、甲には、殺人未遂罪と殺人罪が成立し、これらは併合罪(47条)となる。これらはどちらもVの生命を保護法益にしているが、別個の機会の別個の行為なので、併合罪となる。
第2 乙の罪責
(1) 劇薬YをVに注射した行為
業務上過失致死罪(211条)を検討する。「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた」ことがその構成要件である。ここでいう「業務」とは「社会生活上反復・継続して行う行為で、人の生命に危険をもたらすおそれのあるもの」である。
乙は医師であり、Vに注射をした行為は、上記の業務上だと言える。Vの死の結果について刑事上の過失があったとのことなので、乙には業務上過失致死罪が成立する。
(2) 虚偽の死因を死亡診断書に記載してC市役所に提出した行為
虚偽診断書等作成罪(160条)及び同行使罪(161条1項)を検討する。構成要件はそれぞれ「医師が公務所に提出すべき診断書、検案書又は死亡証書に虚偽の記載をした」ことと、「前二条の文書……を行使した」ことである。
乙は医師である。死亡診断書は公務所に提出すべき死亡証書である。乙はそこに虚偽の死因を記載している。よって乙には虚偽診断書等作成罪が成立する。そしてこれをC市役所に提出しているので、同行使罪も成立する。乙はこれを専ら甲のためにしたとのことであるが、そのために乙に犯罪が成立しないということはないし、犯罪に何ら関わっていない甲が罪に問われるということもない。
(3)結論
以上より、乙には、業務上過失致死罪、虚偽診断書等作成罪、同行使罪が成立し、後二者と前者とは併合罪(47条)となる。後二者はけん連犯である。
第3 共犯関係
甲と乙との間には、犯罪について意思連絡がなかったので、共犯は成立しない。
以上
修正答案
以下刑法については条数のみを示す。
第1 甲の罪責
(1) 劇薬Xを混入したワインを送付した行為
殺人未遂罪(199条、203条)の成否を検討する。殺人罪の構成要件は人を殺すことである。未遂とは実行の着手があったものの所定の結果が発生しなかった場合のことである。実行の着手は、犯罪の結果の客観的な危険性が生じたときにあったと判断する。甲は劇薬Xを8ミリリットル混入したワインを自宅近くのコンビニエンスストアからV宅宛てに宅配便で送った。宅配便で送ると業者がまず間違いなく宛先に届け、甲からワインが届けばVは数時間でワイン1本を一人で飲み切り、そうすればV死亡の危険があったと認められるから、この時点で実行の着手があったと言える。
劇薬X8ミリリットルでは通常人の致死量には達しないが、心臓に特異な疾患があるVにとっては死亡の危険があったので、不能犯ではなく未遂犯である。また、甲はこれらの事情を認識していたので、故意に欠けるところもない。
以上より、甲には殺人未遂罪が成立する。
(2) 乙に劇薬Yの入った容器を渡してVに注射するよう指示した行為
殺人罪(199条)の成否を検討する。甲が乙に対して劇薬Yが6ミリリットル入った容器を渡してこれをVに注射をするよう指示した。そして乙がその注射をするにことによってVが死亡した。Vを殺すという行為を直接行ったのは乙であるため、間接正犯についてまず検討する。間接正犯は、①利用者が被利用者の行為を利用して自己の犯罪を実行する意思、②利用者による被利用者の行為の支配、の2点が満たされた場合に認められる。本件において、甲は乙の行為を利用してV殺害という自己の犯罪を実行する意思があった。乙は事情を知らなかったので、甲が乙の行為を支配していたと言える。よって、甲は間接正犯である。
次に因果関係について検討する。条件関係を前提として、社会通念上相当であるかどうかによって判断する。甲が乙に劇薬Yの入った容器を渡してVに注射するように指示しなければ、乙がこれをVに注射することもなく、Vが死亡することもなかった。よって条件関係はある。また、年上で恩義も感じている医師である甲から注射の指示を受けて実際に注射をするという因果関係は社会通念上相当である。乙は容器に薬剤名の記載がないことに気づいたにもかかわらず、その中身を確認しないままVに劇薬Yを注射した点において過失があったとのことであるが、その乙の過失は確認をしないという不作為であり、自分の意思で積極的な行動をしたわけではないので、因果関係は切断されない。
以上より、甲には間接正犯として殺人罪が成立する。
(3)結論
以上より、甲には、殺人未遂罪と殺人罪が成立し、これらは併合罪(47条)となる。これらはどちらもVの生命を保護法益にしているが、別個の機会の別個の行為なので、併合罪となる。
第2 乙の罪責
(1) 劇薬YをVに注射した行為
業務上過失致死罪(211条)の成否を検討する。「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた」ことがその構成要件である。ここでいう「業務」とは「社会生活上反復・継続して行う行為で、人の生命に危険をもたらすおそれのあるもの」である。
乙は医師であり、Vに注射をした行為は、上記の業務上だと言える。Vの死の結果について刑事上の過失があったとのことなので、必要な注意を怠ったと言え、乙には業務上過失致死罪が成立する。この過失がなければVは死亡しなかったという条件関係があり、医師が薬剤の確認を怠ると患者が死亡するというのは社会通念上相当な因果関係である。
(2) 虚偽の死因を死亡診断書に記載してC市役所に提出した行為
虚偽診断書等作成罪(160条)及び同行使罪(161条1項)の成否を検討する。構成要件はそれぞれ「医師が公務所に提出すべき診断書、検案書又は死亡証書に虚偽の記載をした」ことと、「前二条の文書……を行使した」ことである。乙は医師である。死亡診断書は公務所に提出すべき死亡証書である。乙はそこに虚偽の死因を記載している。よって乙には虚偽診断書等作成罪が成立する。そしてこれをDに渡して、DがC市役所に提出しているので、同行使罪も成立する(第1で述べた間接正犯に当てはまる)。
次に証拠隠滅罪(104条)の成否を検討する。構成要件は「他人の刑事事件に関する証拠を…偽造」することである。甲という他人の殺人罪という刑事事件に関する死亡診断書という証拠を偽造しているので、証拠隠滅罪が成立する。自己の刑事事件に関する証拠であるとも言えなくないが、専ら甲のために証拠を偽造しているので、証拠隠滅罪は成立する。
(3)結論
以上より、乙には、(A)業務上過失致死罪、(B)虚偽診断書等作成罪、(C)同行使罪、(D)証拠隠滅が成立し、(A)と(B)ないし(D)は併合罪(47条)、(B)及び(C)は牽連犯、(B)及び(D)は観念的競合である。
第3 共犯関係
甲と乙との間には、犯罪について意思連絡がなかったので、共犯は成立しない。
以上