〔設問1〕
政府の適正領域、つまり政府は何を行うべきかを考える。その際には、複雑な現存する政府から帰納的に考えるのではなく、社会の原初状態から抽象的、演えき的に考えるべきである。
社会の原初状態では、体力、影響力、数の力など、力の強い者が弱い者に対して横暴をはたらく。よって、こうした横暴を防ぎ、人間の自然的な権利である人身や財産を保護することが、そしてそのことだけが、政府の役割である。通商、教育、宗教などその他の領域では、生物種が自然とうたされるように、自然に悪が矯正されるので、政府は介入すべきではない。
〔設問2〕
本文における著者の主張は、今日の社会においても、理念的に妥当する。よって、その表面的な文言にとらわれず、著者の理念を探究すべきである。その著者の理念とは、自然の自己調整原理にできるだけ任せて、政府はその自己調整原理がはたらくような土台を整備することだけに専心すべきだということである。
もっとも、本文を著者が記した1840年代と2019年現在とでは、自己調整原理がうまく機能するための土台が変わってきている。そのことを①商業の規制を取り上げて論じる。
1840年代では、商業に関して、周囲に個人商人や小規模な組織が多数あったと考えられる。そうした状況であれば、政府は人間の自然権である人身と財産の保護をするだけで、あとは自然の自己調整原理に委ねることができた。例えば誰かが帳薄【原文ママ】をごまかしたり不当に商品の価格を吊り上げたとしても、すぐにそうしたことは明らかになり、そうした人と取り引きをしようとする人が減るので、悪が自然ととうたされるからである。現代では、大規模な会社が多くなってきている。特に株式会社では、経営と所有が分離され、経営から遠く離れたところに株主が多数存在することも珍しくない。そうすると、帳薄【原文ママ】のごまかしがあったとしても、なかなか気づくことができないだろう。そこで、現実に金融証券取引法でなされているように、罰則付きで一定の帳薄【原文ママ】を公開することを義務づけることも必要となる。また、大きな会社であれば、一定の地域の一定の商品を独占的に販売することも可能であり、そうした状況で商品の価格を吊り上げても、その悪が矯正されることは難しい。*よって、独占禁止法が必要なのである。
以上より、自然の自己調整原理がうまく機能するための土台を整備することだけが政府の役割であって、その他のことには介入すべきでないという著者の理念は、現在でも妥当すると私は考える。
*に「その商品を入手しようとするとその会社と取り引きせざるを得ないからである。」を追加。