問題
〔第1問〕(配点:100)
遺伝子は,細胞を作るためのタンパク質の設計図である。人間には約2万5000個の遺伝子があると推測されている。遺伝情報は,子孫に受け継がれ得る情報で,個人の遺伝的特質及び体質を示すものであるが,その基になる遺伝子に係る情報は,当該個人にとって極めて機微に係る情報である。遺伝子には,すべての人間に共通な生存に不可欠な部分と,個人にオリジナルの部分とがある。もし生存に不可欠な遺伝子が異常になると,細胞や体の働きが損なわれるので,その個体は病気になることもある。既に多数の遺伝子疾患が知られており,また,高血圧などの生活習慣病や癌,そして神経難病なども遺伝子の影響を受けることが解明されつつある。
遺伝子治療とは,生命活動の根幹である遺伝子を制御する治療法であり,正常な遺伝子を細胞に補ったり,遺伝子の欠陥を修復・修正することで病気を治療する手法である。遺伝子治療の実用化のためには,動物実験の次の段階として,人間を対象とした臨床研究も必要である。遺伝子治療においては,まず,当該疾患をもたらしている遺伝子の異常がどこで起こっているかなどについて調べる必要がある。それを確定するためには,遺伝にかかわるので,本人だけではなく,家族の遺伝子も検査する必要がある。遺伝子治療は,難病の治癒のための新たな可能性を有する治療法ではあるが,安全性という点でなお不十分な面があるし,未知の部分もある。例えば,治療用の正常な遺伝子の導入が適切に行われないと,癌抑制遺伝子等の有益な遺伝子を壊すことがある。さらに,遺伝子という生命の根幹にかかわる点で,遺伝子治療によって「生命の有り様」を人間が変えることにもなり得るなど,遺伝子治療それ自体をめぐって様々なレベルで議論されている。
【注:本問では,遺伝子治療に関する知見は以上の記述を前提とすること。】
政府は,遺伝子を人為的に組み換えたり,それを生殖細胞に移入したりして操作することには人間を改造する危険性もあるが,研究活動は研究者の自由な発想を重視して本来自由に行われるべきであることを考慮し,研究者の自主性や倫理観を尊重した柔軟な規制の形態が望ましいとして,罰則を伴った法律による規制という方式を採らなかった。2002年に,文部科学省及び厚生労働省が共同して,制裁規定を一切含まない「遺伝子治療臨床研究に関する指針」(2004年に全部改正され,2008年に一部改正された【参考資料1】。以下「本指針」という。)を制定した。こうして,遺伝子治療の臨床研究(以下「遺伝子治療臨床研究」という。)について研究者が遵守すべき指針が定められ,大学や研究所に設置される審査委員会で審査・承認を受けた後,さらに文部科学省・厚生労働省で審査・承認されて研究が行われている。
2009年に,国立大学法人A大学医学部B教授らのグループによる遺伝子治療臨床研究において,被験者が一人死亡する事故が起きた。また,遺伝子に係る情報の漏洩事件も複数起きた。そこで,同年,Y県立大学医学部は,「審査委員会規則」を改正し,専門機関としてより高度の倫理性と責任性を持つべきであるとして,遺伝子治療臨床研究によって重大な事態が生じたときには当該研究の中止を命ずることができるようにした【参考資料2】。さらに,同医学部は,「遺伝子情報保護規則」【参考資料3】を新たに定め,匿名化(その個人情報から個人を識別する情報の全部又は一部を取り除き,代わりに当該個人情報の提供者とかかわりのない符号又は番号を付すことをいう。)されておらず,特定の個人と結び付いた形で保持されている遺伝子に係る情報について規律した。当該規則は,本人の求めがある場合でも,「遺伝子治療の対象である疾病の原因となる遺伝子情報」以外の開示を禁止している。その理由は,すべての遺伝子に係る情報を開示することが本人に与えるマイナスの影響を考慮したからである。また,当該規則は,被験者ばかりでなく,遺伝子検査・診断を受けたすべての人の遺伝子に係る情報を第三者に開示することを禁止している。その理由は,その開示によって生じるかもしれない様々な問題の発生等を考慮したからである。
Y県立大学医学部の,X教授を代表者とする遺伝子治療臨床研究グループは,2003年以来難病性疾患に関する従来の治療法の問題点を解決する新規治療法の開発を目的として,動物による実験を行ってきた。201※年に,X教授のグループは,X教授を総括責任者とし,本指針が定める手続に従って,遺伝子治療臨床研究(以下「本研究」という。)を実施することの承認を受けた。X教授は,難病治療のために来院したCを診断したところ,Cの難病の原因は遺伝子に関係する可能性が極めて高いと判断した。Cは成人であるので,X教授は,Cの同意を得てその遺伝子を検査した。さらに,X教授はCに,家族全員(父,母,兄及び姉)の遺伝子も検査する必要があることを説明し,その家族4人からそれぞれ同意を得た上で,4人の遺伝子も検査した。その結果,Cの難病が遺伝子の異常によるものであることが判明した。X教授は,動物実験で有効であった遺伝子治療法の被験者としてCが適切であると考え,Cに対し,遺伝子治療を行う必要性等,本指針が定める説明をすべて行った。説明を受けた後,Cは,本研究の被験者となることを受諾する条件として,自己ばかりでなくその家族4人の遺伝子に係るすべての情報の開示をX教授に求めた。X教授は,Cの求めに応じて,C以外の家族4人の同意を得ずに,C自身及びその家族4人の遺伝子に係るすべての情報をCに伝えた。Cは,本研究の被験者になることに同意する文書を提出した。
Cを被験者とする本研究が実施されたが,その過程で全く予測し得なかった問題が生じ,Cは重体に陥り,そのため,Cに対する本研究は続けることができなくなった(その後,Cは回復した。)。
Y県立大学医学部長は,定められた手続に従い慎重に審査した上で,X教授らによる本研究の中止を命じた。その後,この問題を契機として調査したところ,「遺伝子情報保護規則」に違反する行為が明らかとなった。任命権者である学長は,X教授によるCへのC自身及びその家族4人の遺伝子に係る情報の開示が「遺伝子情報保護規則」に違反していることを理由に,X教授を1か月の停職処分に処した。
〔設問1〕
X教授は,本研究の中止命令(注:行政組織内部の職務命令自体の処分性については,本問では処分性があるものとする。)の取消しを求めて訴訟を提起することにした。あなたがX教授から依頼を受けた弁護士であったならば,憲法上の問題についてどのような主張を行うか述べなさい。
そして,大学側の処分を正当化する主張を想定しながら,あなた自身の結論及び理由を述べなさい。
〔設問2〕
X教授は,遺伝子に係る情報の開示(注:個人情報に関する法令や条例との関係については,本問では論じる必要はない。)に関する1か月の停職処分の取消しを求めて訴訟を提起することにした。あなたがX教授から依頼を受けた弁護士であったならば,憲法上の問題についてどのような主張を行うか述べなさい。
そして,大学側の処分を正当化する主張を想定しながら,あなた自身の結論及び理由を述べなさい。
【参考資料1】
文部科学省/厚生労働省「遺伝子治療臨床研究に関する指針」平成14年3月27日
(平成16年12月28日全部改正;平成20年12月1日一部改正)(抄録)
第一章 総則
第一 目的
この指針は,遺伝子治療の臨床研究(以下「遺伝子治療臨床研究」という。)に関し遵守すべき事項を定め,もって遺伝子治療臨床研究の医療上の有用性及び倫理性を確保し,社会に開かれた形での適正な実施を図ることを目的とする。
第二 定義
一 この指針において「遺伝子治療」とは,疾病の治療を目的として遺伝子又は遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与すること及び二に定める遺伝子標識をいう。
二 この指針において「遺伝子標識」とは,疾病の治療法の開発を目的として標識となる遺伝子又は標識となる遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与することをいう。
三 この指針において「研究者」とは,遺伝子治療臨床研究を実施する者をいう。
四 この指針において「総括責任者」とは,遺伝子治療臨床研究を実施する研究者に必要な指示を行うほか,遺伝子治療臨床研究を総括する立場にある研究者をいう。
五~九 (略)
第三~第五 (略)
第六 生殖細胞等の遺伝的改変の禁止
人の生殖細胞又は胚(一の細胞又は細胞群であって,そのまま人又は動物の胎内において発生の過程を経ることにより一の個体に成長する可能性のあるもののうち,胎盤の形成を開始する前のものをいう。以下同じ。)の遺伝的改変を目的とした遺伝子治療臨床研究及び人の生殖細胞又は胚の遺伝的改変をもたらすおそれのある遺伝子治療臨床研究は,行ってはならない。
第七 適切な説明に基づく被験者の同意の確保
遺伝子治療臨床研究は,適切な説明に基づく被験者の同意(インフォームド・コンセント)が確実に確保されて実施されなければならない。
第八 (略)
第二章 被験者の人権保護
第一 (略)
第二 被験者の同意
一 総括責任者又は総括責任者の指示を受けた医師である研究者(以下「総括責任者等」という。)は,遺伝子治療臨床研究の実施に際し,第三に掲げる説明事項を被験者に説明し,文書により自由意思による同意を得なければならない。
二 同意能力を欠く等被験者本人の同意を得ることが困難であるが,遺伝子治療臨床研究を実施することが被験者にとって有用であることが十分に予測される場合には,審査委員会の審査を受けた上で,当該被験者の法定代理人等被験者の意思及び利益を代弁できると考えられる者(以下「代諾者」という。)の文書による同意を得るものとする。この場合においては,当該同意に関する記録及び同意者と当該被験者の関係を示す記録を残さなければならない。
第三 被験者に対する説明事項
総括責任者等は,第二の同意を得るに当たり次のすべての事項を被験者(第二の二に該当する場合にあっては,代諾者)に対し十分な理解が得られるよう可能な限り平易な用語を用いて説明しなければならない。
一 遺伝子治療臨床研究の目的,意義及び方法
二 遺伝子治療臨床研究を実施する機関名
三 遺伝子治療臨床研究により予期される効果及び危険
四 他の治療法の有無,内容並びに当該治療法により予期される効果及び危険
五 被験者が遺伝子治療臨床研究の実施に同意しない場合であっても何ら不利益を受けることはないこと。
六 被験者が遺伝子治療臨床研究の実施に同意した場合であっても随時これを撤回できること。
七 個人情報保護に関し必要な事項
八 その他被験者の人権の保護に関し必要な事項
(以下略)
【参考資料2】
Y県立大学医学部「審査委員会規則」
第1条~第7条 (略)
第8条 医学部長は,被験者の死亡その他遺伝子治療臨床研究により重大な事態が生じたときは,総括責任者に対し,遺伝子治療臨床研究の中止又は変更その他必要な措置を命ずるものとする。
(以下略)
【参考資料3】
Y県立大学医学部「遺伝子情報保護規則」
第1条 本学部において,遺伝子に係る情報であって,匿名化されておらず個人を識別することができるもの(以下「遺伝子情報」という。)の取扱いについては,この規則によるものとする。
第2条~第5条 (略)
第6条 本学部の教職員は,いかなる理由による場合であっても,遺伝子情報を開示しないものとする。
2 前項の規定にかかわらず,総括責任者は,遺伝子検査又は診断を受けた者からの求めがある場合には,遺伝子治療の対象である疾病の原因となる遺伝子情報に限り,本人に開示しなければならない。
(以下略)
練習答案
以下日本国憲法についてはその条数のみを示す。
[設問1]
第1 X教授側の主張
「学問の自由は、これを保障する」(23条)とあるところ、本研究の中止命令はX教授の学問の自由を侵害するので、違憲である。
学問の自由は留保なく保障されているので、他の憲法で保障された権利と衝突しない限り制約されない。ここで想定される他の権利はCの身体や生命であると考えられるが、Cは本研究について適切に説明をされた上で真しな同意をしている。本研究はCの難病の治療法を開発するのに必要でもある。このように不法ではない内容について本人の有効な同意があるのだから、たまたま重体に陥ったからといって、C本人の身体や生命を侵害したとは言えない。
また、学問の自由が保障される典型的な主体は大学教授であり、その職にあるXの学問の自由を制約するためにはより一層慎重であるべきである。
第2 大学側の処分を正当化する主張
学問の自由も絶対無制約に保障されるのではなく、他の憲法上の権利との調整が必要である。「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、(中略)立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(13条)のであり、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(25条2項)。つまり国、ひいては地方自治体には国民の生命等を守る義務があるのである。
本研究の中止命令は、そうした公益的な見地から国民の生命等を守るために必要な措置であり、学問の自由を一定制約するのもやむを得ない。Cが同意していたとしても、遺伝子治療には未知の部分も大きいので、そうした同意時には未知であった危険から守ることも必要である。さらにCだけでなく今後X教授の研究に参加するかもしれない国民の生命等を守るためにも、本件中止命令は必要である。
第3 私自身の結論及び理由
生命等の権利により学問の自由が制約され得る点は共通しているので、本研究が生命等の権利を侵害しているかどうか、特にCの同意をどう捉えるかが争点となる。
すべて国民は個人として尊重されるという日本国憲法の理念からして、個人の意思は、それによってその人の生命等をいくらか危険にさらすとしても、最大限に尊重されるべきである。もしかするとCの難病はQOL(生活の質)を著しく低下させるもので、そのまま寿命を少しのばすよりも、生命を短縮する危険があったとしても治療法を見つけたいとCは思ったかもしれない。そのあたりの判断は本人にしかできない。本研究では指針が定める説明がすべてなされた上でCが真しに同意しているので、Cの生命等を侵害しているとは言えない。未知の部分が現れたらCはその時点で研究から抜けることができるのであるし(参考資料1第2章第3、6号)、今後本研究に参加するかもしれない人についても同様である。
以上より、本研究の中止命令は違憲であって取消されるべきものである。
[設問2]
第1 X教授側の主張
「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない(31条)。1か月の停職処分が刑罰に含まれるかどうかには議論があるだろうが、少なくとも刑罰に近い処分なので、31条の罪刑法定主義が類推適用されるべきである。よって法律に根拠のない本件停職処分は違憲である。
仮に罪刑法定主義に違反しないとしても、本件停職処分はXの財産権(29条1項)や職業選択の自由(22条1項)を侵害するものなので、正当な理由がなければ違憲である。本件停職処分の根拠はY県立大学医学部「遺伝子情報保護規則」違反とのことであるが、その6条2項に規定される開示をしただけなので、正当な処分理由は存在しない。
第2 大学側の処分を正当化する主張
31条の罪刑法定主義が想定している刑罰を課す主体は国家であり、大学のような団体には一定の内部統制権が認められるので、本件停職処分は違憲ではない。
また、本件停職処分には正当な理由がある。Y県立大学医学部「遺伝子情報保護規則」6条2項が規定しているのは本人の遺伝子情報であり、家族の遺伝子情報の開示は同1項により禁止されているからである。
第3 私自身の結論及び理由
大学には一定の内部統制権があるので、罪刑法定主義(の類推適用)は、一部の者が全くし意的に重大な権利侵害を行った場合にのみ問題となるので、本件停職処分では問題とならない。おそらく就業規則か何かで停職処分の規定はされていただろうし、一部の者がし意的に処分を決定したわけでもなく、停職1か月はそこまで重大な権利侵害でもない。
本件停職処分に正当な理由があるかどうかは、Y県立大学医学部「遺伝子情報保護規則」の解釈にかかっている。その6条2項の「遺伝子治療の対象である疾病の原因となる遺伝子情報」は本人のものだけであると解釈するほうが前後と整合的である。各個人が13条の幸福追求権から自己の情報をコントロールする権利を有しているという考え方からも、ある情報の開示をできるのはその本人に限ると解釈できる。
以上より本件停職処分は違憲ではない。
以上
修正答案
以下日本国憲法についてはその条数のみを示す。
[設問1]
第1 X教授側の主張
「学問の自由は、これを保障する」(23条)とあるところ、本研究の中止命令はX教授の学問の自由を侵害するので、違憲である。
23条の文言からもわかるように、学問の自由は留保なく保障されている。そして学問の自由が保障される典型的な主体は大学教授であり、その職にあるXの学問の自由を制約することには慎重であるべきである。さらに、学問は研究の上に成り立つものなので、学問の自由は研究の自由を当然に含む。研究は純粋な思索とは違って外界に働きかける行為なので、他の憲法で保障された権利との調整をするために制約され得る。しかしながら、学問の自由は国家権力から恣意的に制約されやすく、そうなると民主主義も脅かされかねないので、その制約の合憲性は厳格に審査されなければならない。つまり、重要な目的のための必要最小限度の制約でなければならない。
本研究の中止命令の根拠はY県立大学医学部「審査委員会規則」8条を根拠にしているが、その条文自体が違憲である。医学部長に研究を中止させる過度に広範な裁量を認めているからである。
仮にこの条文自体が違憲でないとしても、具体的な本研究の中止命令は違憲である。本件処分の目的はCの生命等を守ることであると考えられるが、Cは本研究について適切に説明をされた上で真摯な同意をしている。本研究はCの難病の治療法を開発するのに必要でもある。このように不法ではない内容について本人の有効な同意があるのだから、たまたま重体に陥ったからといって、C本人の身体や生命を侵害したとは言えない。Cに対する本研究は事実上続けることができなくなっているにもかかわらず、本研究全体を中止させるという処分は必要最小限度を超えているとも言える。
第2 大学側の処分を正当化する主張
学問の自由も絶対無制約に保障されるのではなく、他の憲法上の権利との調整が必要である。「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、(中略)立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(13条)のであり、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(25条2項)。つまり国、ひいては地方自治体には国民の生命等を守る義務があるのである。
本研究の中止命令は、そうした公益的な見地から国民の生命等を守るために必要な措置であり、学問の自由を一定制約するのもやむを得ない。Cが同意していたとしても、遺伝子治療には未知の部分も大きいので、そうした同意時には未知であった危険から守ることも必要である。さらにCだけでなく今後X教授の研究に参加するかもしれない国民の生命等を守るためにも、本件中止命令は必要である。
また、学問の自由を保障するための制度的側面として大学には一定の自治が認められており、大学が自主的に規則を制定することは違憲でないばかりかむしろ学問の自由に資するものである。
第3 私自身の結論及び理由
生命等の権利により学問の自由が制約され得る点は共通している。大学の自治と個人の研究の自由とが衝突する場合にどう判断すべきかということが一つの争点になっている。本研究が生命等の権利を侵害しているかどうか、特にCの同意をどう捉えるかということと、本件処分が必要最小限度であったかということが二つ目の争点になっている。
研究活動をして学問を追究するのは個人がベースである。大学当局が国家権力と結びつくということも容易に想定できる。よって大学の自治と個人の研究の自由とが衝突した場合には、基本的には個人の研究の自由のほうが尊重されるべきである。とはいえある大学のある個人が無茶な研究をして、そのせいで同じ大学の他の個人の研究活動が阻害されてもいけないので、そうした事態を防ぐような規則を大学が制定することは許される。本件では、文部科学省/厚生労働省「遺伝子治療臨床研究に関する指針」(以下「指針」とする)では制裁規定が含まれていないことも考慮して、Y県立大学医学部「審査委員会規則」8条の「重大な事態」を「このまま研究を続けると他の個人が研究をすることに支障をきたすような重大な事態」と限定的に解釈した場合にのみ合憲となる。
本件処分に関して、すべて国民は個人として尊重されるという日本国憲法の理念からして、個人の意思は、それによってその人の生命等をいくらか危険にさらすとしても、最大限に尊重されるべきである。もしかするとCの難病はQOL(生活の質)を著しく低下させるもので、そのまま寿命を少しのばすよりも、生命を短縮する危険があったとしても治療法を見つけたいとCは思ったかもしれない。そのあたりの判断は本人にしかできない。本研究では指針が定める説明がすべてなされた上でCが真摯に同意しているので、Cの生命等を侵害しているとは言えない。未知の部分が現れたらCはその時点で研究から抜けることができるのであるし(指針第2章第3の第6号)、今後本研究に参加するかもしれない人についても同様である。必要最小限度の制約を逸脱しているとも言える。
以上より、本研究の中止命令は違憲であって取消されるべきものである。
[設問2]
第1 X教授側の主張
本件停職処分はY県立大学医学部「遺伝子情報保護規則」(以下「規則」とする)をその根拠としているが、憲法違反の内容である規則をもとにした処分は無効である。
規則6条の1項及び2項から、遺伝子治療の対象である疾病の原因となる遺伝子情報以外はいかなる場合にも開示してはならないことになり、X教授はそれに違反したとして本件停職処分を受けた。
13条の幸福追求権から各個人は自己の情報をコントロールする権利を有していると解釈できる。その権利が重要となる一つの場面が本件のような医療現場でのインフォームド・コンセントであり、指針にもそれが適切に実施されなけれなならないことが規定されている。インフォームド・コンセントのためには可能な限り多くの情報が与えられることが必要であるのに、規則6条に従うと遺伝子治療の研究に参加するかどうかを決める患者が得られる情報が限定されてしまう。そのような規則が作られたのはすべての遺伝子に係る情報を開示することが本人に与えるマイナスの影響を考慮したからとのことであるが、実際に生じるかどうかもわからないマイナスの影響よりも、情報を与えられないことによる不利益のほうが大きいので、正当化することはできない。
よって規則6条の内容は違憲であり、それに基づく本件停職処分は無効である。処分を受けたXとは別の第三者の権利に関する違憲ではあるが、違憲の定めは当然無効と解すべきであり、さらに本件では間接的にXの学問の自由も侵害しているので、Xがそのことを主張することができる。
第2 大学側の処分を正当化する主張
そもそも大学には一定の内部統制権が認められるので、本件停職処分に司法審査は及ばない。
仮に司法審査が及ぶとして、規則6条の内容は合憲である。遺伝子治療は専門家にとってさえ難しいものであり、専門知識を持ち合わせていない一般人にすべての遺伝情報を与えたところで無用な不安を与えることこそあっても、益するところはない。
また、Xには遺伝子治療の対象である疾病の原因となる遺伝子情報以外を開示したことに加えて、家族の同意を得ずに家族の遺伝子情報を開示したという規則6条違反もある。
第3 私自身の結論及び理由
大学には一定の内部統制権があるとはいっても、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」(32条)のであって、裁判を受ける権利を簡単に否定することはできない。全くの内部的な事柄ならともかく、本件停職処分は一般市民法秩序との関わりを有しているので、司法審査が及ぶ。
また、Xは研究を進める上でCと密接な関係にあり、XがCの権利を主張しても不具合はないので、XがCの権利を援用しても差し支えない。
規則6条の内容は、自己の情報をコントロールする権利を侵害するものとして、違法のそしりは免れない。遺伝子治療は難解で一般人には完全に理解できないとしても、担当者が適切に噛み砕いて説明することは十分に可能である。そして合理的な選択をするためというだけでなく、選択をした際に納得を感じるためにも、可能な限り多くの情報が与えられるべきである。遺伝子治療の対象である疾病の原因となる遺伝子情報だけをはっきりと切り分けることができるかどうか疑問であることに加えて、それが可能であってもその情報だけを与えられては他にも有用な情報があるのではないかという本人の疑念を晴らすことができない。そもそも自己情報のコントロール権は原則的に認められるべき性質のものであり、それが役立つかマイナスの影響をもたらすかを決めるのは本人である。
可能な限り多くの情報が与えられるべきだとはいっても、他人のプライバシーを侵害してもよいことにはならない。他人の情報には他人の情報コントロール権が及ぶ。家族であってもその点を別様に解する理由はない。かえって家族だからこそ知られたくないこともあるだろう。この点に関して、XはCの家族に無断で家族の遺伝情報をCに開示したので、規則6条1項に違反している。
以上より本件停職処分は違憲ではない。
以上
感想
どのように憲法上の主張をすればよいのかで困りました。[設問1]ではXの学問の自由と大学の自治とが対立するという構図を見逃していました。[設問2]では第三者(C)の憲法上の主張をXが援用するという発想が思いつかずに、無理矢理な答案を仕上げました。自己決定V.S.パターナリズムという論点や、家族の情報コントロール権という論点は見えていただけに悔やまれます。修正答案はまずまずの出来になっているのではないかなと思っています(おかしな点があればコメント欄でご指摘ください)。