平成22年司法試験論文刑事系第1問答案練習

問題

〔第1問〕(配点:100)
以下の事例に基づき,甲,乙及び丙の罪責について,具体的な事実を摘示しつつ論じなさい(特別法違反の点を除く。)。

1 V(78歳)は,数年前から自力で食事や排せつを行うことができない,いわゆる寝たきりの要介護状態にあり,自宅で,妻甲(68歳)の介護を受けていたが,風邪をこじらせて肺炎となり,A病院の一般病棟の個室に入院して主治医Bの治療を受け,容体は快方に向かっていた。
 A病院に勤務し,Vを担当する看護師乙は,Vの容体が快方に向かってからは,Bの指示により,2時間ないし3時間に1回程度の割合でVの病室を巡回し,検温をするほか,容体の確認,投薬や食事・排せつの世話などをしていた。
 一方,甲は,Vが入院した時から,連日,Vの病室を訪れ,数時間にわたってVの身の回りの世話をしていた。このため,乙は,Vの病状に何か異状があれば甲が気付いて看護師等に知らせるだろうと考え,甲がVの病室に来ている間の巡回を控えめにしていた。その際,乙は,甲に対し,「何か異状があったら,すぐに教えてください。」と依頼しており,甲も,その旨了承し,「私がいる間はゆっくりしていてください。」などと乙に話し,実際に,甲は,病室を訪れている間,Vの検温,食事・排せつの世話などをしていた。

2 Vは,入院開始から約3週間経過後のある日,午前11時過ぎに発熱し,正午ころには39度を超える高熱となった(以下,時刻の記載は同日の時刻をいう。)。Bは,発熱の原因が必ずしもはっきりしなかったものの,このような場合に通常行われる処置である解熱消炎剤の投与をすることにした。ところが,Vは,一般的な解熱消炎剤の「D薬」に対する強いアレルギー体質で,D薬による急性のアレルギー反応でショック死する危険があったため,Bは,D薬に代えて使用されることの多い別の解熱消炎剤の「E薬」を点滴で投与することにし,午後0時30分ころ,その旨の処方せんを作成して乙に手渡し,「Vさんに解熱消炎剤のE薬を点滴してください。」と指示した。そして,高齢のVの発熱の原因がはっきりせず,E薬の点滴投与後もVの熱が下がらなかったり容体の急変等が起こる可能性があったため,Bは,看護師によるVの慎重な経過観察が必要であると判断し,乙に,「Vさんの発熱の原因がはっきりしない上,Vさんは高齢なので,熱が下がらなかったり容体が急変しないか心配です。容体をよく観察してください。半日くらいは,約30分ごとにVさんの様子を確認してください。」と指示した。

3 Bの指示を受けた乙は,A病院の薬剤部に行き,Bから受け取った前記処方せんを,同部に勤務する薬剤師丙に渡した。
 A病院では,医師作成の処方せんに従って薬剤部の薬剤師が薬を準備することとなっていたが,薬の誤投与は,患者の病状や体質によってはその生命を危険にさらしかねないため,薬剤師において,医師の処方が患者の病状や体質に適合するかどうかをチェックする態勢が取られており,かかるチェックを必ずした上で薬を医師・看護師らに提供することとされていた。仮に,医師の処方に疑問があれば,薬剤師は,医師に確認した上で薬を提供することになっていた。
 ところが,乙から前記処方せんを受け取った丙は,Bの処方に間違いはないものと思い,処方された薬の適否やVのアレルギー体質等の確認も行わずに,E薬の薬液入りガラス製容器(アンプル)が多数保管されているE薬用の引き出しからアンプルを1本取り出した。その引き出しには,本来E薬しか保管されていないはずであったが,たまたまD薬のアンプルが数本混入していて,丙が取り出したのは,そのうちの1本であった。しかし,丙は,それをE薬と思い込んだまま,アンプルの薬名を確認せず,それを点滴に必要な点滴容器や注射針などの器具と一緒にVの名前を記載した袋に入れ,前記処方せんの写しとともに乙に渡した。
 なお,D薬のアンプルとE薬のアンプルの外観はほぼ同じであったが,貼付されたラベルには各薬名が明記されていた。
 また,D薬に対するアレルギー体質の患者に対し,D薬に代えてE薬が処方される例は多く,丙もその旨の知識を有していた。

4 A病院では,看護師が点滴その他の投薬をする場合,薬の誤投与を防ぐため,看護師において,薬が医師の処方どおりであるかを処方せんの写しと対照してチェックし,処方や薬に疑問がある場合には,医師や薬剤師に確認すべきこととなっており,その際,患者のアレルギー体質等については,その生命にかかわることから十分に注意することとされ,乙もA病院の看護師としてこれらの点を熟知していた。
 しかし,丙から前記のとおりアンプルや点滴に必要な器具等を受け取った乙は,丙がこれまで間違いを犯したことがなく,丙の仕事ぶりを信頼していたことから,丙が,処方やVの体質等の確認をしなかったり,処方せんと異なる薬を渡したりすることを全く予想していなかったため,受け取った薬が処方されたものに間違いないかどうかを確認せず,丙から受け取ったアンプルが処方されたE薬ではないことに気付かなかった。また,乙は,VがD薬に対するアレルギー体質を有することを,Vの入院当初に確認してVの看護記録にも記入していたが,そのことも失念していた。
 そして,乙は,丙から受け取ったD薬のアンプル内の薬液を点滴容器に注入し,午後1時ころからVに対し,それがE薬ではないことに気付かないままD薬の点滴を開始した。その際,Vの検温をしたところ,体温は39度2分であったため,乙は,Vのベッド脇に置かれた検温表にその旨記載して病室を出た。
 乙は,Bの前記指示に従って,点滴を開始した午後1時ころから約30分おきにVの病室を巡回することとし,1回目の巡回を午後1時30分ころに行い,Vの容体を観察したが,その時点では異状はなかった。この時のVの体温は39度で,乙はその旨検温表に記載した。

5 午後1時35分ころ,甲が来院し,Vの病室に行く前に看護師詰所(ナースステーション)に立ち寄ったので,乙は,甲に,「Vさんが発熱したので,午後1時ころから,解熱消炎剤の点滴を始めました。そのうち熱は下がると思いますが,何かあったら声を掛けてください。私も30分おきに病室に顔を出します。」などと言い,甲は,「分かりました。」と答えてVの病室に行った。
 甲は,Vが眠っていたため病室を片付けるなどしていたところ,午後1時50分ころ,Vが呼吸の際ゼイゼイと音を立てて息苦しそうにし,顔や手足に赤い発しんが出ていたので,慌ててVに声を掛けて体を揺すったが,明りょうな返事はなかった。
 Vは,数年前に,薬によるアレルギー反応で赤い発しんが出て呼吸困難に陥って次第に容体が悪化し,やがてチアノーゼ(血液中の酸素濃度低下により皮膚が青紫色になること)が現れるに至ったが,医師の救命処置により一命を取り留めたことがあった。甲は,その経過を直接見ており,後に医師から,「薬に対するアレルギーでショック状態になっていたので,もう少し救命処置が遅れていれば助からなかったかもしれない。」と聞かされた。
 このような経験から,甲は,Vが再び薬によるアレルギー反応を起こして呼吸困難等に陥っていることが分かり,放置すると手遅れになるおそれがあると思った。
 しかし,甲は,他に身寄りのないVを,Vが要介護状態になった数年前から一人で介護する生活を続け,肉体的にも精神的にも疲れ切っており,退院後も将来にわたってVの介護を続けなければならないことに悲観していたため,このままVが死亡すれば,先の見えない介護生活から解放されるのではないかと思った。また,甲は,時折Vが「こんな生活もう嫌だ。」などと嘆いていたことから,介護を受けながら寝たきりの生活を続けるより,このまま死んだ方がVにとっても幸せなのではないかとも思った。
 他方,甲は,長年連れ添ったVを失いたくない気持ちもあった上,Vが死亡すると,これまで受け取っていた甲とVの2名分の年金受給額が減少するのも嫌だとの思いもあった。
 このように,甲が,これまでの人生を振り返り,かつ今後の人生を考えて,これからどうするのが甲やVにとって良いことなのか思い悩んでいた午後2時ころ,乙が,巡回のため,Vの病室の閉じられていた出入口ドアをノックした。しかし,心を決めかねていた甲は,もうしばらく考えてからでもVの救命は間に合うだろうと思い,時間を稼ぐため,ドア越しに,「今,体を拭いてあげているので20分ほど待ってください。夫に変わりはありません。」と嘘を言った。
 乙は,その言葉を全く疑わずに信じ込み,Vに付き添って体を拭いているのだから,Vに異状があれば甲が必ず気付くはずだと思い,Vの容体に異状がないことの確認はできたものと判断し,約30分後の午後2時30分ころに再び巡回すれば足りると考え,「分かりました。30分ほどしたらまた来ます。」とドア越しに甲に言って立ち去った。

6 乙が立ち去った後,甲がVの様子を見ると,顔にチアノーゼが現れ,呼吸も更に苦しそうに見えたことなどから,甲は,Vの容体が更に悪化していることが分かった。
 甲は,しばらく悩んだ末,数年前にVが同様の症状に陥って助かった時の前記経験から,現時点のVの症状ならば,速やかに救命処置が開始されればVはまだ助かるだろうと思いながらも,事態を事の成り行きに任せ,Vの生死を,医師等の医療従事者の手にではなく,運命にゆだねることに決め,その結果がどうなろうとその運命に従うことにした。
 その後,甲は,乙の次の巡回が午後2時30分ころに予定されていたので,午後2時15分ころ,検温もしていないのに,検温表に午後2時20分の検温結果として38度5分と記入した上,午後2時30分ころ,更に容体が悪化しているVを病室に残して看護師詰所に行き,乙に検温表を示しながら,「体を拭いたら気持ち良さそうに眠りました。しばらくそっとしておいてもらえませんか。熱は下がり始めているようです。何かあればすぐにお知らせしますから。」と嘘を言ってVの病室に戻った。

7 乙は,他の患者の看護に追われて多忙であった上,甲の話と検温表の記載から,Vの容体に異状はなく,熱も下がり始めて容体が安定してきたものと信じ込み,甲が付き添っているのだから眠っているVの様子をわざわざ見に行く必要はなく,午後2時30分ころに予定していた巡回は行わずに午後3時ころVの容体を確認すれば足りると判断した。
 午後2時50分ころ,甲は,Vの呼吸が止まっていることに気付き,Vは助からない運命だと思って帰宅した。
 午後3時ころ,Vの病室に入った乙が,意識がなく呼吸が停止しているVを発見し,直ちに,Bらによる救命処置が講じられたが,午後3時50分にVの死亡が確認された。

8 その後の司法解剖や甲,乙,丙及び他のA病院関係者らに対する事情聴取等の捜査の結果,次の各事実が判明した。
 ⑴ Vの死因は,肺炎によるものではなく,D薬を投与されたことに基づく急性アレルギー反応による呼吸困難を伴うショック死であった。
 ⑵ 遅くとも午後2時20分までに,医師,看護師等がVの異変に気付けば,当時のA病院の態勢では直ちに医師等による救命処置が開始可能であって,それによりVは救命されたものと認められたが,Vの異変に気付くのが,それより後になると,Vが救命されたかどうかは明らかでなく,午後2時50分を過ぎると,Vが救命される可能性はほとんどなかったものと認められた。
 なお,本件において,Vに施された救命処置は適切であった。
 ⑶ VにE薬に対するアレルギーはなく,VにE薬を投与してもこれによって死亡することはなかった。
 なお,BのVに対する治療方針やE薬の処方及び乙への指示は適切であった。
 ⑷ E薬用の引き出しには数本のD薬のアンプルが混入していたが,その原因は,A病院関係者の何者かが,D薬のアンプルを保管場所にしまう際,D薬用の引き出しにしまわず,間違って,E薬用の引き出しに入れてしまったことにあると推測された。しかし,それ以上の具体的な事実関係は明らかにならなかった。

 

練習答案

以下刑法についてはその条数のみを示す。

 

第1 甲の罪責
 Vが死亡しているので殺人罪(199条)の成否を検討する。その際には、不作為による殺人が認められるかどうか、甲に殺人の故意があったかどうかを中心に検討する。
 1 不作為による殺人
 199条は「人を殺した者」と規定するだけで、作為・不作為を問うていない。しかし刑法で責任を負わせる以上、単なる不作為では足りず、作為義務があるにもかかわらず不作為であった場合のみ構成要件を満たすと考えるのが適切である。
 本件においては、看護師等医療従事者には患者の生命を保護する責任があるところ、患者Vの妻である甲は看護師等のケアを排して自らの一手にVの生命を保護する義務を引き受けていた。Vが死亡した日の午後2時頃(以下、時刻の記載は同日の時刻をいう)に看護師乙に対して「今、体を拭いてあげているので20分ほど待ってください。夫に変わりはありません。」と嘘を言っており、午後2時30分頃にも乙に同様の嘘を言っているので、午後2時頃から午後2時30分からしばらく時間が経過するまでの間は甲にVの生命を保護する作為義務が生じていた。それにもかかわらず甲はその作為をしなかったので、Vという人を殺した者に該当する。
 2 殺人の故意
 殺人罪が成立するためには殺人の故意が存在していなければならない。そこでの故意は「人を殺してやる」という明確な故意のみならず「人が死ぬかもしれないがそれでもいいや」という未必の故意をも含む。
 本件で甲は「このままVが死亡すれば、先の見えない介護生活から解放されるのではないか」と思い、「事態を事の成り行きに任せ、Vの生死を、医師等の医療従事者の手にではなく、運命にゆだねる」ことに決め、その結果がどうなろうとその運命に従うことにした。ここからV殺人についての未必の故意が読み取れるので、殺人罪の故意に欠けるところはない。
 3 その他の事項
 甲がVの異変に気づいてから速やかに自ら救命処置をするか医師等による救命処置を求めるかすればVは救命されたものと認められるので、甲の不作為とVの死亡との間に因果関係があると言える。甲は介護生活から肉体的にも精神的にも疲れ切っていたとのことであるが、これにより違法性が阻却されたり責任能力が否定されたりすることはない。
 4 結論
 以上より甲には殺人罪が成立する。

 

第2 乙の罪責
 Vが死亡しており乙にはV殺害の故意は認められないので、業務上過失致死罪(211条)の成否を検討する。
 211条では「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者」と規定されているので、その構成要件を満たすかを検討する。
 乙は看護師である。看護師には一般的に患者の生命を保護するために注意しなければならないことがある。本件に関係する範囲で具体的に考えると、薬が医師の処方どおりであるかを処方せんの写しと対照してチェックし、処方や薬に疑問がある場合には、医師や薬剤師に確認すること(以下「注意①」とする)と、午後1時頃から半日くらい約30分おきにVの病室を巡回すること(以下「注意②」とする)が乙に業務上必要な注意として課されていた。これらは病院のきまりであったり医師Bの指示であったりして、乙もそのことを知っていた。
 しかしながら、乙はこの注意①を怠った。アレルギーのことを失念していたのは乙の怠慢であるし、丙の仕事ぶりを信頼していたというのは正当な理由にならない。注意①は医師、薬剤師、看護師という三重のチェックをすることにその意義があるからである。他方で注意②を怠ったとは言えない。午後2時頃にはVの病室に入ろうとしたところを甲によって入室を拒まれたのであったし、午後2時30分頃に巡回しなかったのも甲が自分の代わりに必要なことをしてくれたと誤信したからであった。従前もこのように甲に自分の代わりに必要なことをやってもらっており、家族にそうしたことをしてもらうのが不合理だとも言えない。
 そして乙がもし注意①を怠らなかったとしたら、VにD薬が不適切に投与されようとしていたことに気づいていたはずであり、それでD薬を投与しなければVは死亡していなかったと認められる。乙が業務上必要な注意をしていれば、V死亡という結果は生じなかったのである。
 以上より乙には業務上過失致死罪が成立する。

 

第3 丙の罪責
 丙についても乙と同様に業務上過失致死傷等罪の成否を検討する。
 薬剤師である丙に課されていた注意は、医師の処方が患者の病状や体質に適合するかどうかをチェックした上で薬を医師・看護師らに提供することであった。
 丙はそのチェックを怠っていたが、仮に怠らずにチェックしていたとしてもE薬は患者の病状や体質に適合していたので、同じようにその後の仕事を行い、Vも死亡していたはずである。つまり丙の注意の怠りとV死亡との間には因果関係がないので、このことについて丙に業務上過失致死傷等罪が成立する余地はない。
 V死亡と因果関係のある丙の行為はE薬のアルプル【原文ママ】とD薬のアンプルを取り違えたことであるが、そのことに関して丙が業務上必要な注意を怠ったとは言えない。E薬用の引き出しにD薬が入っていることは通常考えられず、アルプル【原文ママ】に貼付されたラベルを丙が確認すべきだという医師の指示や病院の決まりもなかったからである。
 以上より、丙には業務上過失致死傷等罪は成立しない。また、より重い業務上の過失が丙にはなかったのだから、業務上ではない過失が存在するということもなく、過失致死罪(210条)も成立しない。その他の罪も成立しない。

以上

修正答案

以下刑法についてはその条数のみを示す。

 

第1 甲の罪責
 Vが死亡しているので殺人罪(199条)の成否を検討する。その際には、不作為による殺人が認められるかどうか、甲に殺人の故意があったかどうかを中心に検討する。遅くとも午後2時20分までに、医師、看護師等がVの異変に気付けば、Vは救命されたものと認められているので、甲の不作為や故意は2時20分までの時点を基準として考える。
 1 不作為による殺人
 199条は「人を殺した者」と規定するだけで、作為・不作為を問うていない。しかし刑法で責任を負わせる以上、単なる不作為では足りず、作為義務があるにもかかわらず不作為であった場合のみ構成要件を満たすと考えるのが適切である。
 本件においては、看護師等医療従事者には患者の生命を保護する責任があるところ、患者Vの妻(民法上夫Vを扶助する義務を負う)である甲は看護師等のケアを排して自らの一手にVの生命を保護する義務を引き受けていた。Vが死亡した日の午後2時ころ(以下、時刻の記載は同日の時刻をいう)に看護師乙に対して「今、体を拭いてあげているので20分ほど待ってください。夫に変わりはありません。」と嘘を言っており、午後2時30分ころにも乙に同様の嘘を言っているので、午後2時頃から午後2時30分からしばらく時間が経過するまでの間は甲にVの生命を保護する作為義務が生じていた。それにもかかわらず甲はその作為をせずVが死亡したので、Vという人を殺した者に該当する。
 2 殺人の故意
 殺人罪が成立するためには殺人の故意が存在していなければならない。そこでの故意は「人を殺してやる」という明確な故意のみならず「人が死ぬかもしれないがそれでもいいや」という結果の発生に対する認識・認容がある未必の故意をも含む。
 本件で甲は午後2時ころに「このままVが死亡すれば、先の見えない介護生活から解放されるのではないか」と思い、午後2時から2時15分の間には「事態を事の成り行きに任せ、Vの生死を、医師等の医療従事者の手にではなく、運命にゆだねる」ことに決め、その結果がどうなろうとその運命に従うことにした。ここから遅くとも午後2時15分までに甲はV殺人についての未必の故意を抱いたことが読み取れるので、殺人罪の故意に欠けるところはない。
 3 その他の事項
 甲が負っていた作為義務は、Vの異変に気づいてから速やかに自ら救命処置をするか医師等による救命処置を求めるかすることであったが、それは容易なことでありそうすることは十分に可能であった。そしてそうしていればVは救命されたものと認められるので、甲の不作為とVの死亡との間に因果関係があると言える。甲は介護生活から肉体的にも精神的にも疲れ切っていたとのことであるが、これにより違法性が阻却されたり責任能力が否定されたりすることはない。
 4 結論
 以上より甲には殺人罪が成立する。殺意があって殺人罪が成立する以上、保護責任者遺棄罪(218条)は成立しない。

 

第2 乙の罪責
 Vが死亡しており乙にはV殺害の故意は認められないので、業務上過失致死傷等罪(211条)の成否を検討する。
 211条では「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者」と規定されているので、その構成要件を満たすかを検討する。つまり注意義務違反があったかどうかを考える。
 乙は看護師である。看護師は生命身体に危険のある行為を反復継続して行い、一般的に患者の生命を保護するために注意しなければならないことがある。本件に関係する範囲で具体的に考えると、薬が医師の処方どおりであるかを処方せんの写しと対照してチェックし、処方や薬に疑問がある場合には、医師や薬剤師に確認すること(以下「注意①」とする)と、午後1時頃から半日くらい約30分おきにVの病室を巡回すること(以下「注意②」とする)が乙に業務上必要な注意として課されていた。これらは病院のきまりであったり医師Bの指示であったりして、乙もそのことを知っていた。また、これらの注意を怠れば、患者が死亡するかもしれないということも十分に予見できた。
 しかしながら、乙はこの注意①を怠った。アレルギーのことを失念していたのは乙の怠慢であるし、丙の仕事ぶりを信頼していたというのは正当な理由にならない。注意①は医師、薬剤師、看護師という三重のチェックをすることにその意義があるからである。他方で注意②を怠ったとは言えない。午後2時頃にはVの病室に入ろうとしたところを甲によって入室を拒まれたのであったし、午後2時30分頃に巡回しなかったのも甲が自分の代わりに必要なことをしてくれたと誤信したからであった。従前もこのように甲に自分の代わりに必要なことをやってもらっており、家族にそうしたことをしてもらうのが不合理だとも言えない。
 そして乙がもし注意①を怠らなかったとしたら、VにD薬が不適切に投与されようとしていたことに気づいていたはずであり、それでD薬を投与しなければVは死亡していなかったと認められる。乙が業務上必要な注意をしていれば、V死亡という結果は生じなかったのである。
 本件ではその後に甲の不作為によるV殺害が認められるが、これはたまたまVの生命を左右する立場に立った甲が不作為によりVを殺害したものであって、乙の注意義務違反から生じた危険が現実化したものであり、ここでの因果関係を切断するには至らない。
 以上より乙には業務上過失致死罪が成立する。

 

第3 丙の罪責
 丙についても乙と同様に業務上過失致死罪の成否を検討する。
 生命身体に危険のある行為を反復継続して行う薬剤師である丙に課されていた注意は、医師の処方が患者の病状や体質に適合するかどうかをチェックした上で薬を医師・看護師らに提供することであった。
 丙はそのチェックを怠り、結果として患者の体質に適合しない薬を看護師乙に提供してしまった。医師の処方が患者の病状や体質に適合するかどうかをチェックしていれば、Vの体質からしてD薬には特に注意すべきことを認識できたはずであり、その認識があればたとえE薬用の引き出しから取り出したアンプルであってもD薬ではないかラベルを確認する義務が薬剤師の丙にはあったと言える。こうした注意義務に違反すれば、患者が死亡する可能性のあることは十分に予見できた。
 そもそも丙が薬を取り違えなければVが死亡するということはなかった。しかし、丙がこのように薬を取り違えたとしても、乙がきちんと注意して途中で気づいたり、甲がVの生命保持義務を果たしておればVが死亡しなかったとも考えられる。とはいえ、V死亡は丙による薬の取り違えという注意義務違反から生じた危険か現実化したものであり、乙がそれに気づかなかったことや、甲がVの異変にすぐに気づいて助けなかったことは異常な介在事情ではない。
 以上より、丙には業務上過失致死罪が成立する。

以上

 

感想

事例に沿った検討はそれなりにできたかなと思っています。過失論の対立(予見可能性を重視するか結果回避義務違反を重視するか)ということはまったく頭になかったので、予見可能性のことをすっかりとばしてしまいました。乙丙の過失のところで甲の行為の介在という論点も落としてしまいました。丙の過失を認定するかどうかは迷いましたが、認定したほうが答案としては書きやすい気がします。

 

 




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