法人格否認の法理
およそ社団法人において法人とその構成員たる社員とが法律上別個の人格であることはいうまでもなく、このことは社員が一人である場合でも同様である。しかし、およそ法人格の付与は社会的に存在する団体についてその価値を評価してなされる立法政策によるものであつて、これを権利主体として表現せしめるに値すると認めるときに、法的技術に基づいて行なわれるものなのである。従つて、法人格が全くの形骸にすぎない場合、またはそれが法律の適用を回避するために濫用されるが如き場合においては、法人格を認めることは、法人格なるものの本来の目的に照らして許すべからざるものというべきであり、法人格を否認すべきことが要請される場合を生じるのである。そして、この点に関し、株式会社については、特に次の場合が考慮されなければならないのである。
思うに、株式会社は準則主義によつて容易に設立され得、かつ、いわゆる一人会社すら可能であるため、株式会社形態がいわば単なる藁人形に過ぎず、会社即個人であり、個人則会社であつて、その実質が全く個人企業と認められるが如き場合を生じるのであつて、このような場合、これと取引する相手方としては、その取引がはたして会社としてなされたか、または個人としてなされたか判然しないことすら多く、相手方の保護を必要とするのである。ここにおいて次のことが認められる。すなわち、このような場合、会社という法的形態の背後に存在する実体たる個人に迫る必要を生じるときは、会社名義でなされた取引であつても、相手方は会社という法人格を否認して恰も法人格のないと同様、その取引をば背後者たる個人の行為であると認めて、その責任を追求することを得、そして、また、個人名義でなされた行為であつても、相手方は敢て商法五〇四条を俟つまでもなく、直ちにその行為を会社の行為であると認め得るのである。けだし、このように解しなければ、個人が株式会社形態を利用することによつて、いわれなく相手方の利益が害される虞があるからである。
法人格否認の法理による判決効の拡張
しかしながら、上告会社が訴外会社とは別個の法人として設立手続、設立登記を経ているものである以上、上記のような事実関係から直ちに両会社が全く同一の法人格であると解することは、商法が、株式会社の設立の無効は一定の要件の下に認められる設立無効の訴のみによつて主張されるべきことを定めていること(同法四二八条)及び法的安定の見地からいつて是認し難い。
もつとも、右のように上告会社の設立が訴外会社の債務の支払を免れる意図の下にされたものであり、法人格の濫用と認められる場合には、いわゆる法人格否認の法理により被上告人は自己と訴外会社間の前記確定判決の内容である損害賠償請求を上告会社に対しすることができるものと解するのが相当である。しかし、この場合においても、権利関係の公権的な確定及びその迅速確実な実現をはかるために手続の明確、安定を重んずる訴訟手続ないし強制執行手続においては、その手続の性格上訴外会社に対する判決の既判力及び執行力の範囲を上告会社にまで拡張することは許されないものというべきである(最高裁昭和四三年(オ)第八七七号同四四年二月二七日第一小法廷判決・民集二三巻二号五一一頁参照)。
事業譲渡
(一)よつて、まず、右(一)の所論(法令違反)について判断する。商法二四五条一項一号【引用者注:現会社法四六七条一項一号、二号】によつて特別決議を経ることを必要とする営業の譲渡とは、同法二四条【引用者注:現会社法二一条】以下にいう営業の譲渡と同一意義であつて、営業そのものの全部または重要な一部を譲渡すること、詳言すれば、一定の営業目的のため組織化され、有機的一体として機能する財産(得意先関係等の経済的価値のある事実関係を含む。)の全部または重要な一部を譲渡し、これによつて、譲渡会社がその財産によつて営んでいた営業的活動の全部または重要な一部を譲受人に受け継がせ、譲渡会社がその譲渡の限度に応じ法律上当然に同法二五条に定める競業避止業務を負う結果を伴うものをいうものと解するのが相当である。
所論は、要するに、右判示のような見解を採るときは、譲渡会社またはその株主の利益が害される危険があることを力説した上、営業の譲渡とは、いわゆる機能的財産の移転を目的とする契約であり、営業が譲受人に移転し受継されるのを通例とするが、必ずしもそのように狭く解すべきではなく、かかる機能的財産を構成している重要な営業用財産が一括して譲渡され、その結果譲渡会社の運命に重大な影響を及ぼすような場合、たとえば譲渡会社がその結果営業を遂行できなくなるような場合において、当事者がその結果を予見しているときは、いわゆる狭義の「営業譲渡」の場合に準じて、該当会社の株主総会の特別決議を要するものと解するのが相当である、というにある。
しかしながら、商法二四五条一項一号の規定の制定およびその改正の経緯に照しても、右法条に営業の譲渡という文言が採用されているのは、商法総則における既定概念であり、その内容も比較的に明らかな右文言を用いることによつて、譲渡会社がする単なる営業用財産の譲渡ではなく、それよりも重要である営業の譲渡に該当するものについて規制を加えることとし、併せて法律関係の明確性と取引の安全を企図しているものと理解される。前示所論のように解することは、明らかに前示法条の文理に反し、法解釈の統一性、安定牲を害するばかりでなく、その譲渡が無効であるかどうかが、譲渡の相手方または第三者にとつては必ずしも詳らかにしえない譲渡会社の内部的事情によつて左右される結果を認めることとなり、前判示のように解する場合に比較して、法律関係の明確性ないし取引の安全を害するおそれも多く、右所論のような拡張解釈は、法解釈の限度を逸脱するものというほかはない。所論は、立法政策としては考慮の余地があるとしても、現行法の解釈論としては、とうてい採用することをえない。
されば、右判示と見解を同じくする原判決には、商法二四五条一項一号の解釈を誤つた違法はない。
表見法理と会社の登記
商法は、商人に関する取引上重要な一定の事項を登記事項と定め、かつ、商法一二条【引用者注:現会社法九〇八条】において、商人は、右登記事項については、登記及び公告をしないかぎりこれを善意の第三者に対抗することができないとするとともに、反面、登記及び公告をしたときは善意の第三者にもこれを対抗することができ、第三者は同条所定の「正当ノ事由」のない限りこれを否定することができない旨定めている(もつとも昭和二四年法律一三七号「法務局及び地方法務局の設置に伴う関係法律の整理に関する法律」附則一〇項により、「商法一二条の規定の適用については、登記の時に登記及び公告があつたものとみなす。」こととされている。)。商法が右のように定めているのは、商人の取引活動が、一般私人の場合に比し、大量的、反復的に行われ、一方これに利害関係をもつ第三者も不特定多数の広い範囲の者に及ぶことから、商人と第三者の利害の調整を図るために、登記事項を定め、一般私法である民法とは別に、特に登記に右のような効力を賦与することを必要とし、又相当とするからに外ならない。
ところで、株式会社の代表取締役の退任及び代表権喪失は、商法一八八条及び一五条【引用者注:現会社法九一一条及び九一五条】によつて登記事項とされているのであるから、前記法の趣旨に鑑みると、これについてはもつぱら商法一二条のみが適用され、右の登記後は同条所定の「正当ノ事由」がないかぎり、善意の第三者にも対抗することができるのであつて、別に民法一一二条を適用ないし類推適用する余地はないものと解すべきである。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定したところによると、本件約束手形は、上告人会社代表取締役Dが取締役を退任して代表権を喪失し、その登記がなされた後に、同人により会社の代表者名義をもつてE組ことFに宛てて振出され、更にFから株式会社G商店を経て被上告人に裏書譲渡されたというのであるから、被上告人は、Fにおいて、Dより右手形の振出交付を受けた際、右代表権の喪失につき善意であり、かつ、商法一二条所定の「正当ノ事由」があつたことを主張立証することによつてのみ上告人会社に右手形金を請求することができるにとどまり、Fの善意無過失を理由に民法一一二条を適用ないし類推適用して上告人会社の表見代理責任を追及することは許されないものといわなければならない。
会社の承認がない譲渡制限株式譲渡の効力
商法二〇四条一項但し書【引用者注:現会社法一〇七条一項一号】に基づき定款に株式の譲渡につき取締役会の承認を要する旨の譲渡制限の定めがおかれている場合に、取締役会の承認をえないでされた株式の譲渡は、譲渡の当事者間においては有効であるが、会社に対する関係では効力を生じないと解すべきであるから(最高裁昭和四七年(オ)第九一号同四八年六月一五日第二小法廷判決・民集二七巻六号七〇〇頁)、会社は、右譲渡人を株主として取り扱う義務があるものというべきであり、その反面として、譲渡人は、会社に対してはなお株主の地位を有するものというべきである。そして、譲渡が競売手続によつてされた場合の効力については、商法は特別の規定をおいていないし、会社の利益を保護するために会社にとつて好ましくない者が株主となることを防止しようとする同法二〇四条一項但し書の立法趣旨に照らすと、右の場合における譲渡の効力について、任意譲渡の場合と別異に解すべき実質的理由もないから、譲渡が競売手続によつてされた場合の効力についても、前記と同様に解すべきである。
新株(新株予約権)発行の差止
本件新株予約権無償割当てが,株主平等の原則から見て著しく不公正な方法によるものといえないことは,これまで説示したことから明らかである。また,相手方が,経営支配権を取得しようとする行為に対し,本件のような対応策を採用することをあらかじめ定めていなかった点や当該対応策を採用した目的の点から見ても,これを著しく不公正な方法によるものということはできない。その理由は,次のとおりである。
すなわち,本件新株予約権無償割当ては,本件公開買付けに対応するために,相手方の定款を変更して急きょ行われたもので,経営支配権を取得しようとする行為に対する対応策の内容等が事前に定められ,それが示されていたわけではない。確かに,会社の経営支配権の取得を目的とする買収が行われる場合に備えて,対応策を講ずるか否か,講ずるとしてどのような対応策を採用するかについては,そのような事態が生ずるより前の段階で,あらかじめ定めておくことが,株主,投資家,買収をしようとする者等の関係者の予見可能性を高めることになり,現にそのような定めをする事例が増加していることがうかがわれる。しかし,事前の定めがされていないからといって,そのことだけで,経営支配権の取得を目的とする買収が開始された時点において対応策を講ずることが許容されないものではない。本件新株予約権無償割当ては,突然本件公開買付けが実行され,抗告人による相手方の経営支配権の取得の可能性が現に生じたため,株主総会において相手方の企業価値のき損を防ぎ,相手方の利益ひいては株主の共同の利益の侵害を防ぐためには多額の支出をしてもこれを採用する必要があると判断されて行われたものであり,緊急の事態に対処するための措置であること,前記のとおり,抗告人関係者に割り当てられた本件新株予約権に対してはその価値に見合う対価が支払われることも考慮すれば,対応策が事前に定められ,それが示されていなかったからといって,本件新株予約権無償割当てを著しく不公正な方法によるものということはできない。
また,株主に割り当てられる新株予約権の内容に差別のある新株予約権無償割当てが,会社の企業価値ひいては株主の共同の利益を維持するためではなく,専ら経営を担当している取締役等又はこれを支持する特定の株主の経営支配権を維持するためのものである場合には,その新株予約権無償割当ては原則として著しく不公正な方法によるものと解すべきであるが,本件新株予約権無償割当てが,そのような場合に該当しないことも,これまで説示したところにより明らかである。
新株発行の無効
原審の適法に確定したところによれば、上告会社の昭和六三年六月の新株発行については、(一) 新株発行に関する事項について商法二八〇条ノ三ノ二に定める公告又は通知がされておらず、(二) 新株発行を決議した取締役会について、取締役Dに招集の通知(同法二五九条ノ二)がされておらず、(三) 代表取締役Aが来る株主総会における自己の支配権を確立するためにしたものであると認められ、(四) 新株を引き受けた者が真実の出資をしたとはいえず、資本の実質的な充実を欠いているというのである。
原判決は、このうち(三)及び(四)の点を理由として右新株発行を無効としたが、原審のこの判断は是認することができない。けだし、会社を代表する権限のある取締役によって行われた新株発行は、それが著しく不公正な方法によってされたものであっても有効であるから(最高裁平成二年(オ)第三九一号同六年七月一四日第一小法廷判決・裁判集民事一七二号七七一頁参照)、右(三)の点は新株発行の無効原因とならず、また、いわゆる見せ金による払込みがされた場合など新株の引受けがあったとはいえない場合であっても、取締役が共同してこれを引き受けたものとみなされるから(同法二八〇条ノ一三第一項)、新株発行が無効となるものではなく(最高裁昭和二七年(オ)第七九七号同三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五一一頁参照)、右(四)の点も新株発行の無効原因とならないからである。
しかしながら、新株発行に関する事項の公示(同法二八〇条ノ三ノ二に定める公告又は通知)は、株主が新株発行差止請求権(同法二八〇条ノ一〇)を行使する機会を保障することを目的として会社に義務付けられたものであるから(最高裁平成元年(オ)第六六六号同五年一二月一六日第一小法廷判決・民集四七巻一〇号五四二三頁参照)、新株発行に関する事項の公示を欠くことは、新株発行差止請求をしたとしても差止めの事由がないためにこれが許容されないと認められる場合でない限り、新株発行の無効原因となると解するのが相当であり、右(三)及び(四)の点に照らせば、本件において新株発行差止請求の事由がないとはいえないから、結局、本件の新株発行には、右(一)の点で無効原因があるといわなければならない。
議決権の代理行使
しかし、同条項は、議決権を行使する代理人の資格を制限すべき合理的な理由がある場合に、定款の規定により、相当と認められる程度の制限を加えることまでも禁止したものとは解されず、右代理人は株主にかぎる旨の所論上告会社の定款の規定は、株主総会が、株主以外の第三者によつて攪乱されることを防止し、会社の利益を保護する趣旨にでたものと認められ、合理的な理由による相当程度の制限ということができるから、右商法二三九条三項に反することなく、有効であると解するのが相当である。論旨は、右と異なる見解に立つて、原審の判断を攻撃するものであつて、採用できない。
重要な財産
商法二六〇条二項一号【引用者注:現会社法三六二条四項一号】にいう重要な財産の処分に該当するかどうかは、当該財産の価額、その会社の総資産に占める割合、当該財産の保有目的、処分行為の態様及び会社における従来の取扱い等の事情を総合的に考慮して判断すべきものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、本件株式の帳簿価額は七八〇〇万円で、これは上告人の前記総資産四七億八六四〇万円余の約一・六パーセントに相当し、本件株式はその適正時価が把握し難くその代価いかんによっては上告人の資産及び損益に著しい影響を与え得るものであり、しかも、本件株式の譲渡は上告人の営業のため通常行われる取引に属さないのであるから、これらの事情からすると、原判決の挙示する理由をもって、本件株式の譲渡は同号にいう重要な財産の処分に当たらないとすることはできない。さらに、本件株式はEの発行済み株式の七・五六パーセントに当たり、Eは上告人の発行済み株式の一七・八六パーセントを有しているのであり、甲第一一号証によればEは平成二年五月三〇日に開催された上告人の株主総会に出席した上取締役選任に関する動議を提出したことがうかがわれるのであるから、本件株式の譲渡は上告人とEとの関係に影響を与え、上告人にとって相当な重要性を有するとみることもできる。また、甲第一〇号証によれば本件株式譲渡の翌日である同年一月一九日に開催された上告人の取締役会において本件株式及び上告人の有するG酒造株式会社の株式四〇〇株をHに譲渡することの承認決議がされたことがうかがわれ、甲第一八号証によれば昭和六三年六月一五日に上告人の取締役会でされた上告人の有する株式の譲渡承認決議は株式会社I商店の額面五〇円の株式四〇〇〇株及びJ株式会社の額面五〇円の株式一万三五〇〇株を対象とするものであることがうかがわれるのであり、上告人においてはその保有株式の譲渡については少額のものでも取締役会がその可否を決してきたものとみることもできる。
取締役会の決議のない取引の効力
株式会社の一定の業務執行に関する内部的意思決定をする権限が取締役会に属する場合には、代表取締役は、取締役会の決議に従つて、株式会社を代表して右業務執行に関する法律行為をすることを要する。しかし、代表取締役は、株式会社の業務に関し一切の裁判上または裁判外の行為をする権限を有する点にかんがみれば、代表取締役が、取締役会の決議を経てすることを要する対外的な個々的取引行為を、右決議を経ないでした場合でも、右取引行為は、内部的意思決定を欠くに止まるから、原則として有効であつて、ただ、相手方が右決議を経ていないことを知りまたは知り得べかりしときに限つて、無効である、と解するのが相当である。
忠実義務
商法二五四条ノ二【引用者注:現会社法三五五条】の規定は、同法二五四条三項【引用者注:現会社法三三〇条】民法六四四条に定める善管義務を敷衍し、かつ一層明確にしたにとどまるのであつて、所論のように、通常の委任関係に伴う善管義務とは別個の、高度な義務を規定したものとは解することができない。
監視義務
株式会社の取締役会は会社の業務執行につき監査する地位にあるから、取締役会を構成する取締役は、会社に対し、取締役会に上程された事柄についてだけ監視するにとどまらず、代表取締役の業務執行一般につき、これを監視し、必要があれば、取締役会を自ら招集し、あるいは招集することを求め、取締役会を通じて業務執行が適正に行なわれるようにする職務を有するものと解すべきである。
利益相反取引と株主全員の合意
しかしながら、商法二六五条が取締役と会社との取引につき取締役会の承認を要する旨を定めている趣旨は、取締役がその地位を利用して会社と取引をし、自己又は第三者の利益をはかり、会社ひいて株主に不測の損害を蒙らせることを防止することにあると解されるところ、原審の適法に確定したところによると、Dから上告人への株式の譲渡は、Dの実質上の株主の全員であるEら前記五名の合意によつてなされたものというのであるから、このように株主全員の合意がある以上、別に取締役会の承認を要しないことは、上述のように会社の利益保護を目的とする商法二六五条の立法趣旨に照らし当然であつて、右譲渡の効力を否定することは許されないものといわなければならない。
利益相反取引の効力
そして、取締役が右規定に違反して、取締役会の承認を受けることなく、右の如き行為をなしたときは、本来、その行為は無効と解すべきである。このことは、同条は、取締役会の承認を受けた場合においては、民法一〇八条の規定を適用しない旨規定している反対解釈として、その承認を受けないでした行為は、民法一〇八条違反の場合と同様に、一種の無権代理人の行為として無効となることを予定しているものと解すべきであるからである。
取締役と会社との間に直接成立すべき利益相反する取引にあつては、会社は、当該取締役に対して、取締役会の承認を受けなかつたことを理由として、その行為の無効を主張し得ることは、前述のとおり当然であるが、会社以外の第三者と取締役が会社を代表して自己のためにした取引については、取引の安全の見地より、善意の第三者を保護する必要があるから、会社は、その取引について取締役会の承認を受けなかつたことのほか、相手方である第三者が悪意(その旨を知つていること)であることを主張し、立証して始めて、その無効をその相手方である第三者に主張し得るものと解するのが相当である。
退職慰労金
原判決は、従来被上告会社(被控訴会社)において退職した役員に対し慰労金を与へるには、その都度株主総会の議に付し、株主総会はその金額、時期、方法を取締役会に一任し、取締役会は自由な判断によることなく、会社の業績はもちろん、退職役員の勤続年数、担当業務、功績の軽重等から割り出した一定の基準により慰労金を決定し、右決定方法は慣例となつているのであるが、辞任した常任監査役Dに対する退職慰労金に関する本件決議に当つては、右慣例によつてこれを定むべきことを黙示して右決議をなしたというのであり、右事実認定は、挙示の証拠により肯認できる。株式会社の役員に対する退職慰労金は、その在職中における職務執行の対価として支給されるものである限り、商法二八〇条、同二六九条【引用者注:現会社法三六一条】にいう報酬に含まれるものと解すべく、これにつき定款にその額の定めがない限り株主総会の決議をもつてこれを定むべきものであり、無条件に取締役会の決定に一任することは許されないこと所論のとおりであるが、被上告会社の前記退職慰労金支給決議は、その金額、支給期日、支給方法を無条件に取締役会の決定に一任した趣旨でなく、前記の如き一定の基準に従うべき趣旨であること前示のとおりである以上、株主総会においてその金額等に関する一定の枠が決定されたものというべきであるから、これをもつて同条の趣旨に反し無効の決議であるということはできない。
取締役の同意のない報酬減額
株式会社において、定款又は株主総会の決議(株主総会において取締役報酬の総額を定め、取締役会において各取締役に対する配分を決議した場合を含む。)によって取締役の報酬額が具体的に定められた場合には、その報酬額は、会社と取締役間の契約内容となり、契約当事者である会社と取締役の双方を拘束するから、その後株主総会が当該取締役の報酬につきこれを無報酬とする旨の決議をしたとしても、当該取締役は、これに同意しない限り、右報酬の請求権を失うものではないと解するのが相当である。この理は、取締役の職務内容に著しい変更があり、それを前提に右株主総会決議がされた場合であっても異ならない。
善管注意義務と経営判断の原則
前記事実関係によれば,本件取引は,AをBに合併して不動産賃貸管理等の事業を担わせるという参加人のグループの事業再編計画の一環として,Aを参加人の完全子会社とする目的で行われたものであるところ,このような事業再編計画の策定は,完全子会社とすることのメリットの評価を含め,将来予測にわたる経営上の専門的判断にゆだねられていると解される。そして,この場合における株式取得の方法や価格についても,取締役において,株式の評価額のほか,取得の必要性,参加人の財務上の負担,株式の取得を円滑に進める必要性の程度等をも総合考慮して決定することができ,その決定の過程,内容に著しく不合理な点がない限り,取締役としての善管注意義務に違反するものではないと解すべきである。
以上の見地からすると,参加人がAの株式を任意の合意に基づいて買い取ることは,円滑に株式取得を進める方法として合理性があるというべきであるし,その買取価格についても,Aの設立から5年が経過しているにすぎないことからすれば,払込金額である5万円を基準とすることには,一般的にみて相応の合理性がないわけではなく,参加人以外のAの株主には参加人が事業の遂行上重要であると考えていた加盟店等が含まれており,買取りを円満に進めてそれらの加盟店等との友好関係を維持することが今後における参加人及びその傘下のグループ企業各社の事業遂行のために有益であったことや,非上場株式であるAの株式の評価額には相当の幅があり,事業再編の効果によるAの企業価値の増加も期待できたことからすれば,株式交換に備えて算定されたAの株式の評価額や実際の交換比率が前記のようなものであったとしても,買取価格を1株当たり5万円と決定したことが著しく不合理であるとはいい難い。そして,本件決定に至る過程においては,参加人及びその傘下のグループ企業各社の全般的な経営方針等を協議する機関である経営会議において検討され,弁護士の意見も聴取されるなどの手続が履践されているのであって,その決定過程にも,何ら不合理な点は見当たらない。
以上によれば,本件決定についての上告人らの判断は,参加人の取締役の判断として著しく不合理なものということはできないから,上告人らが,参加人の取締役としての善管注意義務に違反したということはできない。
取引債務と取締役の責任
昭和25年法律第167号により導入された商法267条【引用者注:現会社法八四七条】所定の株主代表訴訟の制度は,取締役が会社に対して責任を負う場合,役員相互間の特殊な関係から会社による取締役の責任追及が行われないおそれがあるので,会社や株主の利益を保護するため,会社が取締役の責任追及の訴えを提起しないときは,株主が同訴えを提起することができることとしたものと解される。そして,会社が取締役の責任追及をけ怠するおそれがあるのは,取締役の地位に基づく責任が追及される場合に限られないこと,同法266条1項3号は,取締役が会社を代表して他の取締役に金銭を貸し付け,その弁済がされないときは,会社を代表した取締役が会社に対し連帯して責任を負う旨定めているところ,株主代表訴訟の対象が取締役の地位に基づく責任に限られるとすると,会社を代表した取締役の責任は株主代表訴訟の対象となるが,同取締役の責任よりも重いというべき貸付けを受けた取締役の取引上の債務についての責任は株主代表訴訟の対象とならないことになり,均衡を欠くこと,取締役は,このような会社との取引によって負担することになった債務(以下「取締役の会社に対する取引債務」という。)についても,会社に対して忠実に履行すべき義務を負うと解されることなどにかんがみると,同法267条1項にいう「取締役ノ責任」には,取締役の地位に基づく責任のほか,取締役の会社に対する取引債務についての責任も含まれると解するのが相当である。
429条の第三者に対する責任
しかし、法は、株式会社が経済社会において重要な地位を占めていること、しかも株式会社の活動はその機関である取締役の職務執行に依存するものであることを考慮して、第三者保護の立場から、取締役において悪意または重大な過失により右義務に違反し、これによつて第三者に損害を被らせたときは、取締役の任務懈怠の行為と第三者の損害との間に相当の因果関係があるかぎり、会社がこれによつて損害を被つた結果、ひいて第三者に損害を生じた場合であると、直接第三者が損害を被つた場合であるとを問うことなく、当該取締役が直接に第三者に対し損害賠償の責に任ずべきことを規定したのである。
このことは、現行法が、取締役において法令または定款に違反する行為をしたときは第三者に対し損害賠償の責に任ずる旨定めていた旧規定(昭和二五年法律第十六七号による改正前の商法二六六条二項)を改め、右取締役の責任の客観的要件については、会社に対する義務違反があれば足りるものとしてこれを拡張し、主観的要件については、重過失を要するものとするに至つた立法の沿革に徴して明らかであるばかりでなく、発起人の責任に関する商法一九三条および合名会社の清算人の責任に関する同法一三四条ノ二の諸規定と対比しても十分に首肯することができる。
したがつて、以上のことは、取締役がその職務を行なうにつき故意または過失により直接第三者に損害を加えた場合に、一般不法行為の規定によつて、その損害を賠償する義務を負うことを妨げるものではないが、取締役の任務懈怠により損害を受けた第三者としては、その任務懈怠につき取締役の悪意または重大な過失を主張し立証しさえすれば、自己に対する加害につき故意または過失のあることを主張し立証するまでもなく、商法二六六条ノ三の規定により、取締役に対し損害の賠償を求めることができるわけであり、また、同条の規定に基づいて第三者が取締役に対し損害の賠償を求めることができるのは、取締役の第三者への加害に対する故意または過失を前提として会社自体が民法四四条の規定によつて第三者に対し損害の賠償義務を負う場合に限る必要もないわけである。
429条と登記簿上の取締役
株式会社の取締役を辞任した者は、辞任したにもかかわらずなお積極的に取締役として対外的又は内部的な行為をあえてした場合を除いては、辞任登記が未了であることによりその者が取締役であると信じて当該株式会社と取引した第三者に対しても、商法(昭和五六年法律第七四号による改正前のもの、以下同じ。)二六六条ノ三第一項前段【引用者注:現会社法四二九条一項】に基づく損害賠償責任を負わないものというべきである(最高裁昭和三三年(オ)第三七〇号同三七年八月二八日第三小法廷判決・裁判集民事六二号二七三頁参照)が、右の取締役を辞任した者が、登記申請権者である当該株式会社の代表者に対し、辞任登記を申請しないで不実の登記を残存させることにつき明示的に承諾を与えていたなどの特段の事情が存在する場合には、右の取締役を辞任した者は、同法一四条【引用者注:現会社法九〇八条二項】の類推適用により、善意の第三者に対して当該株式会社の取締役でないことをもつて対抗することができない結果、同法二六六条ノ三第一項前段にいう取締役として所定の責任を免れることはできないものと解するのが相当である。
見せ金
よつて審案するに株式の払込は、株式会社の設立にあたつてその営業活動の基盤たる資本の充実を計ることを目的とするものであるから、これにより現実に営業活動の資金が獲得されなければならないものであつて、このことは、現実の払込確保のため商法が幾多の規定を設けていることに徴しても明らかなところである。従つて、当初から真実の株式の払込として会社資金を確保するの意図なく、一時的の借入金を以て単に払込の外形を整え、株式会社成立の手続後直ちに右払込金を払い戻してこれを借入先に返済する場合の如きは、右会社の営業資金はなんら確保されたことにはならないのであつて、かかる払込は、単に外見上株式払込の形式こそ備えているが、実質的には到底払込があつたものとは解し得ず、払込としての効力を有しないものといわなければならない。しかして本件についてこれを見るに、原判決の確定するところによれば、訴外D株式会社は資本金二〇〇万円全額払込ずみの株式会社として昭和二四年一一月五日その設立登記を経由したものであるが、被上告人Bは、発起人総代として同じく発起人たるその余の被上告人らから、設立事務一切を委任されて担当し、株式払込については、被上告人Bが主債務者としてその余の被上告人らのため一括して訴外E銀行Gから金二〇〇万円を借り受け、その後右金二〇〇万円を払込取扱銀行である右銀行支店に株式払込金として一括払い込み、同支店から払込金保管証明書の発行を得て設立登記手続を進め、右手続を終えて会社成立後、同会社は右銀行支店から株金二〇〇万円の払戻を受けた上、被上告人Bに右金二〇〇万円を貸し付け、同被上告人はこれを同銀行支店に対する前記借入金二〇〇万円の債務の弁済にあてたというのであつて、会社成立後前記借入金を返済するまでの期間の長短、右払戻金が会社資金として運用された事実の有無、或は右借入金の返済が会社の資金関係に及ぼす影響の有無等、その如何によつては本件株式の払込が実質的には会社の資金とするの意図なく単に払込の外形を装つたに過ぎないものであり、従つて株式の払込としての効力を有しないものではないかとの疑いがあるのみならず、むしろ記録によれば、被上告人Bの前記銀行支店に対する借入金二〇〇万円の弁済は会社成立後間もない時期であつて、右株式払込金が実質的に会社の資金として確保されたものではない事情が窺われないでもない。然るに、原審がかかる事情につきなんら審理を尽さず、従つてなんら特段の事情を判示することなく、本件株式の払込につき単にその外形のみに着目してこれを有効な払込と認めて被上告人らの本件株式払込責任を否定したのは、審理不尽理由不備の違法があるものといわざるを得ず、その結果は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は、その余の論点に対する判断を俟つまでもなく、破棄を免れない。
株主総会決議を経ない事業譲渡の効力
1 原審の確定した右の事実関係によれば、Dが被上告会社との間で締結した本件営業譲渡契約は、その契約の実質的な目的及び内容等にかんがみるならば、Dが上告会社の発起人組合の代表者として設立中の上告会社のために会社の設立を停止条件としてした積極消極両財産を含む営業財産を取得する旨の契約であると認められるから、本件営業譲渡契約は、商法一六八条一項六号【引用者注:現会社法二八条二項】の定める財産引受に当たるものというべきである。そうすると、本件営業譲渡契約は、上告会社の原始定款に同号所定の事項が記載されているのでなければ、無効であり、しかも、同条項が無効と定めるのは、広く株主・債権者等の会社の利害関係人の保護を目的とするものであるから、本件営業譲渡契約は何人との関係においても常に無効であつて、設立後の上告会社が追認したとしても、あるいは上告会社が譲渡代金債務の一部を履行し、譲り受けた目的物について使用若しくは消費、収益、処分又は権利の行使などしたとしても、これによつて有効となりうるものではないと解すべきであるところ、原審の確定したところによると、右の所定事項は記載されていないというのであるから、本件営業譲渡契約は無効であつて、契約の当事者である上告会社は、特段の事情のない限り、右の無効をいつでも主張することができるものというべきである。
2 つぎに、本件営業譲渡契約が譲渡の目的としたものは、原審の確定したところによると、たばこ製造機械・小型デイーゼルエンジンの製造販売を目的とする被上告会社の有する三工場のうち専ら小型デイーゼルエンジンの製造販売に当たつていたE工場の営業一切であるというのであるから、商法二四五条一項一号【引用者注:現会社法四六七条一項二号】にいう営業の「重要ナル一部」に当たるものというべきである。そうすると、本件営業譲渡契約は、譲渡をした被上告会社が商法二四五条一項に基づき同法三四三条【引用者注:現会社法三〇九条】に定める株主総会の特別決議によつてこれを承認する手続を経由しているのでなければ、無効であり、しかも、その無効は、原始定款に記載のない財産引受と同様、広く株主・債権者等の会社の利害関係人の保護を目的とするものであるから、本件営業譲渡契約は何人との関係においても常に無効であると解すべきである。しかるところ、原審の確定したところによると、本件営業譲渡契約については事前又は事後においても右の株主総会による承認の手続をしていないというのであるから、これによつても、本件営業譲渡契約は無効であるというべきである。そして、営業譲渡が譲渡会社の株主総会による承認の手続をしないことによつて無効である場合、譲渡会社、譲渡会社の株主・債権者等の会社の利害関係人のほか、譲受会社もまた右の無効を主張することができるものと解するのが相当である。けだし、譲渡会社ないしその利害関係人のみが右の無効を主張することができ、譲受会社がこれを主張することができないとすると、譲受会社は、譲渡会社ないしその利害関係人が無効を主張するまで営業譲渡を有効なものと扱うことを余儀なくされるなど著しく不安定な立場におかれることになるからである。したがつて、譲受会社である上告会社は、特段の事情のない限り、本件営業譲渡契約について右の無効をいつでも主張することができるものというべきである。
3 そこで、上告会社に本件営業譲渡契約の無効を主張することができない特段の事情があるかどうかについて検討するに、原審の確定した事実関係によれば、被上告会社は本件営業譲渡契約に基づく債務をすべて履行ずみであり、他方上告会社は右の履行について苦情を申し出たことがなく、また、上告会社は、本件営業譲渡契約が有効であることを前提に、被上告会社に対し本件営業譲渡契約に基づく自己の債務を承認し、その履行として譲渡代金の一部を弁済し、かつ、譲り受けた製品・原材料等を販売又は消費し、しかも、上告会社は、原始定款に所定事項の記載がないことを理由とする無効事由については契約後約九年、株主総会の承認手続を経由していないことを理由とする無効事由については契約後約二〇年を経て、初めて主張するに至つたものであり、両会社の株主・債権者等の会社の利害関係人が右の理由に基づき本件営業譲渡契約が無効であるなどとして問題にしたことは全くなかつた、というのであるから、上告会社が本件営業譲渡契約について商法一六八条一項六号又は二四五条一項一号の規定違反を理由にその無効を主張することは、法が本来予定した上告会社又は被上告会社の株主・債権者等の利害関係人の利益を保護するという意図に基づいたものとは認められず、右違反に籍口して、専ら、既に遅滞に陥つた本件営業譲渡契約に基づく自己の残債務の履行を拒むためのものであると認められ、信義則に反し許されないものといわなければならない。したがつて、上告会社が本件営業譲渡契約について商法の右各規定の違反を理由として無効を主張することは、これを許さない特段の事情があるというべきである。
商人資格の取得時期
原判決が、所論摘録のとおり説示を附加し、また、原判決の引用した第一審判決が、所論摘録のとおり認定したことは、所論のとおりである。そして、右認定によれば、第一審被告Dは、上告人等組合のために被上告人に対し判示共同事業を説明して判示契約を申込み、被上告人もまた該共同事業を発展せしめうる助けになるならばと好意的に上告人等の本件申込を承諾したというのである。従つて、かかる事実関係の下において、原判決が本件担保利用契約を控訴人等(上告人等)の営業の準備行為と認め且つ特定の営業を開始する目的で、その準備行為をなした者は、その行為により営業を開始する意思を実現したものでこれにより商人たる資格を取得すべく、その準備行為もまた商人がその営業のためにする行為として商行為となるものとした判断は、正当であつて、論旨はすべて採るを得ない。
約款
そして保険契約者が、保険会社の普通保険約款を承認のうえ保険契約を申し込む旨の文言が記載されている保険契約の申込書を作成して保険契約を締結したときば、反証のないかぎり、たとい保険契約者が盲目であつて、右約款の内容を告げられず、これを知らなかつたとしても、なお右約款による意思があつたものと推定すべきものであるから、本件において、上告人Aが作成したものであることについて争いがない甲第一号証の一ないし四(各火災保険契約の申込書)に被上告人らの火災保険普通保険約款を承認のうえ火災保険契約を申し込む旨の文言が印刷されている事実を適法に確定し、右約款の規定は、本件各火災保険契約の内容をなすものであるとした原審の判断は相当である。
商事代理
民法は、法律行為の代理について、代理人が本人のためにすることを示して意思表示をしなければ、本人に対しその効力を生じないものとして、いわゆる顕名主義を採用している(同法九九条一項)が、商法は、本人のための商行為の代理については、代理人が本人のためにすることを示さなくても、その行為は本人に対して効力を生ずるものとして、顕名主義に対する例外を認めている(同法五〇四条本文)のである。これは、営業主が商業使用人を使用して大量的、継続的取引をするのを通常とする商取引において、いちいち、本人の名を示すことは煩雑であり、取引の敏活を害する虞れがある一方、相手方においても、その取引が営業主のためされたものであることを知つている場合が多い等の事由により、簡易、迅速を期する便宜のために、とくに商行為の代理について認められた例外であると解される。
しかし、この非顕名主義を徹底させるときは、相手方が本人のためにすることを知らなかつた場合に代理人を本人と信じて取引をした相手方に不測の損害を及ぼす虞れがないとはいえず、かような場合の相手方を保護するため、同条但書は、相手方は代理人に対して履行の請求をすることを妨げないと規定して、相手方の救済を図り、もつて関係当事者間の利害を妥当に調和させているのである。そして、右但書は善意の相手方を保護しようとする趣旨であるが、自らの過失により本人のためにすることを知らなかつた相手方までも保護する必要はないものというべく、したがつて、かような過失ある相手方は、右但書の相手方に包含しないものと解するのが相当である。
かように、代理人に対して履行の請求をすることを妨げないとしている趣旨は、本人と相手方との間には、すでに同条本文の規定によつて、代理に基づく法律関係が生じているのであるが、相手方において、代理人が本人のためにすることを知らなかつたとき(過失により知らなかつたときを除く)は、相手方保護のため、相手方と代理人との間にも右と同一の法律関係が生ずるものとし、相手方は、その選択に従い、本人との法律関係を否定し、代理人との法律関係を主張することを許容したものと解するのが相当であり、相手方が代理人との法律関係を主張したときは、本人は、もはや相手方に対し、右本人相手方間の法律関係の存在を主張することはできないものと解すべきである。もとより、相手方が代理人に対し同人との法律関係を主張するについては、相手方において、本人のためにすることを知らなかつたことを主張し、立証する責任があり、また、代理人において、相手方が本人のためにすることを過失により知らなかつたことを主張し、立証したときは、代理人はその責任を免れるものと解するのが相当である。
報酬請求権
一般に、宅地建物取引業者は、商法五四三条にいう「他人間ノ商行為ノ媒介」を業とする者ではないから、いわゆる商事仲立人ではなく、民事仲立人ではあるが、同法五〇二条一一号にいう「仲立ニ関スル行為」を営業とする者であるから同法四条一項の定めるところにより商人であることはいうまでもなく、他に特段の事情のない本件においては、上告人もその例外となるものではない。(なお、論旨は、媒介の委託を準委任ではないというが、これは法律行為でない事務の委託であるから民法六五六条に定める準委任たる性質を有するものである。)しかしながら、上告人は、前示のように被上告人の委託により、または同人のためにする意思をもつて、本件売買の媒介をしたものではないのであるから、被上告人に対し同法五一二条の規定により右媒介につき報酬請求権を取得できるものではなく、また同法五五〇条の規定の適用をみる余地はないものといわなければならない。なお、宅地建物取引業法一七条の規定は、宅地建物取引業者の受ける報酬額の最高限度に関するものであつて、その報酬請求権発生の根拠となるものではない。
運送の損害賠償責任と不法行為
論旨は、前記の場合債務不履行に基づく賠償請求権に不法行為に基づく賠償請求権が競合することを認めうるとしても、これが認められるのは、運送取扱人ないし運送人の側に故意又は重過失の存する場合に限られるべきであるのに、原判決は、故意にあらざることを判示しながら、右過失の軽重につき何ら判示することなく、たやすく不法行為に基づく賠償請求権の成立を認めたのは違法であると主張する。
しかし、右請求権の競合が認められるには、運送取扱人ないし運送人の側に過失あるをもつて足り、必ずしも故意又は重過失の存することを要するものではない。
倉庫証券の要因性と文言性
原審の確定したところによれば、本件各倉荷証券には、倉庫証券約款として、「受寄物の内容を検査することが不適当なものについては、その種類、品質および数量を記載しても当会社(被上告人)はその責に任じない」旨の免責条項の記載があつたというのであるが、右免責条項の効力を認めたうえ、倉庫営業者は、該証券に表示された荷造りの方法、受寄物の種類からみて、その内容を検査することが容易でなく、または荷造りを解いて内容を検査することによりその品質または価格に影響を及ぼすことが、一般取引の通念に照らして、明らかな場合にかぎり、右免責条項を援用して証券の所持人に対する文言上の責任を免れうると解すべきものとした原審の判断、ならびに原審の確定した事実関係(その事実認定は、原判決挙示の証拠関係によつて首肯するに足りる。)に照らせば、本件各証券に表象された木函入り緑茶は、その荷造りの方法および品物の種類からみて、一般取引の通念上、内容を検査することが不適当なものに該当する旨の原審の判断は、ともに正当として是認しうるものである。
手形と錯誤
ところで、手形の裏書は、裏書人が手形であることを認識してその裏書人欄に署名又は記名捺印した以上、裏書としては有効に成立するのであつて、裏書人は、錯誤その他の事情によつて手形債務負担の具体的な意思がなかつた場合でも、手形の記載内容に応じた償還義務の負担を免れることはできないが、右手形債務負担の意思がないことを知つて手形を取得した悪意の取得者に対する関係においては、裏書人は人的抗弁として償還義務の履行を拒むことができるものと解するのが相当であり、被上告人の前記主張も、右のような趣旨に帰着するものと解される。そこで、被上告人は、錯誤によつて手形債務負担の意思がなかつたことを理由にして本件手形金全部の償還義務の履行を拒むことができるかどうかであるが、前記のように、被上告人が金額一五〇〇万円の本件手形を金額一五〇万円の手形と誤信して裏書したものであるとすれば、被上告人には、本件手形金のうち一五〇万円を超える部分については手形債務負担の意思がなかつたとしても、一五〇万円以下の部分については必ずしも手形債務負担の意思がなかつたとはいえず、しかも、本来金銭債務はその性質上可分なものであるから、少なくとも裏書に伴う債務負担に関する限り、本件手形の裏書についての被上告人の錯誤は、本件手形金のうち一五〇万円を超える部分についてのみ存し、その余の部分については錯誤はなかつたものと解する余地があり、そうとすれば、特段の事情のない限り、被上告人が悪意の取得者に対する関係で錯誤を理由にして本件手形金の償還義務の履行を拒むことができるのは、本件手形金のうち一五〇万円を超える部分についてだけであつて、その全部についてではないものといわなければならない(手形の一部裏書を禁止した手形法一二条二項の規定は、上記の解釈を妨げるものではない。)。
手形と代理
しかしながら、約束手形が代理人によりその権限を踰越して振出された場合、民法一一〇条によりこれを有効とするには、受取人が右代理人に振出の権限あるものと信ずべき正当の理由あるときに限るものであつて、かゝる事由のないときは、縦令、その後の手形所持人が、右代理人にかゝる権限あるものと信ずべき正当の理由を有して居つたものとしても、同条を適用して、右所持人に対し振出人をして手形上の責任を負担せしめ得ないものであることは、大審院判例(大審院大正一三年(オ)第六〇一号、同一四年三月一二日判決、同院民集四巻一二〇頁)の示す所であつて、いま、これを改める要はない。
手形の偽造
手形の被偽造者は偽造手形により何ら手形上の義務を負うものではなく、このことは被偽造者に重大な過失があつたと否と、また受取人が善意であつたと否とにかかわらない。更に所論のような手形の社会上の地位もこの原則を左右するものではない。論旨は右と異なる独自の見解に立脚し、又は判旨に添わない主張をなすものであるから、いずれの点も採用することができない。
融通手形
論旨は、原判決には手形法一七条但書の解釈適用を誤つた違法があると主張する。しかし、所論原判示のいわゆる融通手形なるものは、被融通者をして該手形を利用して金銭を得もしくは得たと同一の効果を受けさせるためのものであるから、該手形を振出したものは、被融通者から直接請求のあつた場合に当事者間の合意の趣旨にしたがい支払いを拒絶することができるのは格別、その手形が利用されて被融通者以外の人の手に渡り、その者が手形所持人として支払いを求めて来た場合には、手形振出人として手形上の責任を負わなければならないこと当然であり、融通手形であるの故をもつて、支払いを拒絶することはできない。しかも、このことは、手形振出人になんら手形上の責任を負わせない等当事者間の特段の合意があり所持人がかゝる合意の存在を知つて手形を取得したような場合は格別、その手形所持人が単に原判示のような融通手形であることを知つていたと否とにより異るところはないのである。しからば、本件手形二通はいずれもいわゆる融通手形であることを認定し、右と同趣旨の理由で上告人の所論悪意の抗弁を排斥した原判決の判断は正当であり、所論は理由がない。その他の主張は、原判決の右の判断が正当である以上、その前提を欠くことに帰し、採用し得ない。
善意者と戻裏書
しかし、本件にあつては、善意の取得者たる前示銀行から裏書譲渡を受けたEは、もともと右銀行に対し本件手形を裏書譲渡したものであり、更に同銀行より戻裏書を受けた関係にあるから、事実関係が原判決参照の前記判例の場合と異るものといわねばならない。手形の振出人が手形所持人に対して直接対抗し得べき事由を有する以上、その所持人が該手形を善意の第三者に裏書譲渡した後、戻裏書により再び所持人となつた場合といえども、その手形取得者は、その裏書譲渡以前にすでに振出人から抗弁の対抗を受ける地位にあつたのであるから、当該手形がその後善意者を経て戻裏書により受け戻されたからといつて、手形上の権利行使について、自己の裏書譲渡前の法律的地位よりも有利な地位を取得すると解しなければならない理はない。それ故、本件にあつては、振出人たる上告人は、戻裏書により再び所持人となつたEに抗弁事由を対抗できるものといわねばならず、Eから被上告人に対する裏書譲渡が隠れた取立委任によるものであるとすれば被上告人に対してもこれを対抗しうることになるわけである。(当裁判所昭和三六年(オ)第一二七〇号同三九年一〇月一六日第二小法廷判決参照)。