以下日本国憲法についてはその条数のみを示す。
第1 外国人の人権
外国人の人権は、その性質上可能な限り保障されるべきである。平等権や信教の自由といった基本的人権は、前国家的(自然的)な権利であるからである。
第2 部分社会論
学校などの団体には司法審査を及ぼさずにその団体の自治に任せるほうがよいという考え方がある。他方で「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」(32条)のであるから、市民社会生活上重要な事柄に関しては司法審査が及ぶべきである。本件では、単なる内部的評価ではなく、高校進学の合格/不合格を判定するための資料となる調査書の評価が問題となっているので、市民社会生活上重要な事柄に関わっており、司法審査が及ぶべきである。
第3 平等権
14条1項で平等権が保障され、とくにそこで挙げられている事柄に関する異なる取り扱いは差別であることが推定されるという見解がある。その点で校長の懸念も理解できる。しかし、形式的に何らの異なる取り扱いも許されないというわけではなく、合理的な区別であれば許される。そのほうが実質的な平等に資するからである。
第4 信教の自由、政教分離
20条1項前段及び2項で信教の自由が保障され、同条1項後段及び3項で政教分離が定められている。政教分離が定められている趣旨は、信教の自由を制度的に保障することである。もっとも、それは国及びその機関が宗教と一切関わってはいけないということではなく、その目的及び効果が、特定の宗教の助長や弾圧になるような関わりをしてはいけないということである。宗教と一切関わらないということはおよそ不可能である。その目的及び効果が、特定の宗教の助長や弾圧になるかどうかは、信教の自由を保障するという趣旨から、一般人を基準にして判断する。
本件においては、①Xの信教の自由が侵害されている、②代替措置をとることが政教分離に反するという2つの問題が考えられるが、①は代替措置をとらないことが政教分離に反すると読み替えることができるので、結局のところ政教分離に反するかどうかを考える。
本件では、Xが、肌や髪を露出し、あるいは体型がはっきり分かるような服装をしてはならないという戒律に反して、水泳の授業を受けることを強制されているという側面がある。これはB教という特定の宗教に対する圧迫とも考えられる。しかし、物理的にそのような強制をされているわけではなく、法規としての性質を有する学習指導要領上、水泳実技が必修とされていることから、代替措置をとることも難しかった。Xは調査書で2という評価をされ、県立高校への進学ができなかったが、他の科目や筆記試験次第では県立高校に進学することもできた。以上より、一般人を基準として、B教という特定の宗教を弾圧しているとは言えない。
仮に、例えば宗教上の理由や体調などを理由とした見学者にはレポートを課すといった代替措置をとっていたとしても、一律にそうした扱いをするのであれば、特定の宗教への助長とは言えない。
なお、本件で問題となっているのは甲市立乙中学なので、政教分離が問題となる主体である。
第5 教育
義務教育(26条2項)は中学校までなので、本件において義務教育違反となることはない。また、教育を受ける権利は子どもが有するのであって、親や教師に一定の教育権を観念することができるといっても、国内でミニマムな教育内容を定める必要があるので、学習指導要領が法規としての性質をもっても違憲ではないと解される。
以上
知り合いの合格者に答練を講評してもらう、答練を受けるなど、他人の評価を受けてみたらいかがですか?
目的効果基準で最高裁は「弾圧」という文言は使用しておりません。また、特定の宗教団体を「弾圧」することは直接宗教団体の信教の自由を侵害することにあたりますから、間接的に信教の自由を保障する政教分離原則の問題とはなりません。
そうですね、ありがとうございます。