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第9章 フリーソフトウェアはフリードキュメントを必要とする

 フリーオペレーティングシステムの最大の弱点は、ソフトウェア自体にはない。それは、OSに同梱できる優れたフリーマニュアルがないことである。私たちのもっとも重要なプログラムの大半が、完全なマニュアルを持っていない。ドキュメントは、あらゆるソフトウェアパッケージの必要不可欠な一部である。重要なフリーソフトウェアパッケージに優れたフリーマニュアルが含まれていなければ、それは大きな欠陥と言わなければならない。現在の私たちはそのような欠陥を無数に抱え込んでいる。

 以前、何年も前のことだが、私は Perlを学ぼうと思ったことがある。フリーマニュアルのコピーを入手したが、それはとても読みにくいものだった。Perl ユーザーたちにもっと良いものはないか尋ねてみると、入門用の優れたマニュアルがあるけれども、それはフリーではないというのである。

 なぜ、このようなことになったのだろうか。優れたマニュアルの若者たちは、それを O'Reilly Associates のために書いていたが、O'Reilly は制限付きの条件(コピー、変更禁止、ソースファイルなし)でそれを出版していた。そのため、そのマニュアルは、フリーソフトウェアコミュニティが受け入れられないものになってしまったのである。

 この種のことが起きたのは、それが初めてではなかった。そして、私たちのコミュニティにとっては大きな損失だったが、それが最後とはとても言えない状況が続いている。私有マニュアルの出版社たちは、それ以来、非常に多くの著者に対して、マニュアルに制限を加えることをそそのかしてきた。私は、GNU ユーザーが執筆中のマニュアルについて熱烈に語るのを何度も聞いたことがある。それによって、GNU プロジェクトを助けたいというのである。そして、制限付きで私たちが自由に使えない条件の出版社と契約を結んだという説明を聞き、私の希望は打ち砕かれるのである。

 優れた英語を書くという技能はプログラマたちの間ではまれなので、このようにしてマニュアルを失うのは大きな損失だ。

 フリードキュメントは、フリーソフトウェアと同様に、価格の問題ではなく、自由の問題である。O'Reilly Associates が印刷されたコピーに対して価格を設定する、そのこと自体に問題はない(フリーソフトウェア財団も、フリーGNUマニュアルの印刷済みコピーを販売している)。しかし、GNU マニュアルはソースコード形式でも入手できるのに、O'Reillyのマニュアルは紙版しかない。GNUマニュアルはコピーや変更が許可されているが、Perlのマニュアルはそうではない。問題は、制限である。

 フリーマニュアルの基準は、フリーソフトウェアの基準とほぼ同様である。すべてのユーザーに特定の自由を与えるかどうかの問題だ。プログラムのすべてのコピーにオンラインであれ、紙版であれ、標準で同梱できるようにするために、再頒布(商業目的の販売を含む)は許可されていなければならない。変更許可も、非常に重要である。

 一般原則として、私はあらゆる種類の論文や本を書き換える権利が絶対必要だとは考えていない。文章とソフトウェアでは、問題は必ずしも一致しないだろう。一般原則として、私は人間があらゆるタイプの論文や書籍を書き換える権利を持つことが重要だとは考えていない。たとえば、このような論文に変更を加えることを許可しなければならないとは思わない。この論文には、私たちの行動と思想が書かれているのである。

 しかし、フリーソフトウェアのドキュメントについては、書き換えの自由が重要な意味を持つ理由がある。人々がソフトウェアを書き換える権利を行使し、機能を追加、変更したとき、彼らが仕事に忠実なら、マニュアルも書き換えるだろう。それにより、変更後のプログラムに合った正確で使えるドキュメントを提供できるようになるわけである。プログラマに職務を忠実に遂行し、仕事を完成させることを認めないマニュアルや、プログラムを書き換えたときには0から新しいマニュアルを書くことを強制するようなマニュアルは、私たちのコミュニティのニーズを満足させない。

 もっとも、変更の包括的な禁止は認められないことだが、変更方法に何らかの歯止めをかけても、問題は起きないだろう。たとえば、オリジナルの若者の著作権情報、頒布条件、著者リストを書き換えないことを要求することはかまわない。変更版に書き換えられているということの記載を求めることもかまわないし、技術以外のトピックを扱っている節については、節全体の削除、変更を禁止することまで認められるはずだ(一部のGNU マニュアルにはそれが含まれている)。

 これらの制限が問題とされないのは、職務に忠実なプログラマが変更後のプログラムに合わせてマニュアルを書き換えることを禁止していないからである。言い換えれば、そのような制限は、フリーソフトウェアコミュニティにおいてマニュアルを最大限に活用することを妨げない。

 しかし、マニュアルの「技術的な」内容はすべて書き換え可能でなければならないし、通常のすべてのメディア、すべてのチャネルを通じて結果を頒布できなければならない。そうでなければ、制限はコミュニティにとって有害であり、そのマニュアルはフリーではないということになる。私たちは、別のマニュアルを用意しなければならない。

 残念ながら、私有マニュアルが存在するときに代替マニュアルを書く人材を見つけるのは難しいことが多い。多くのユーザーが私有マニュアルでも充分に良いと思っていて、フリーマニュアルを書く必要性を感じないのである。彼らは、フリーオペレーティングシステムが埋めなければならない穴を抱えているとは思っていない。

 ユーザーが私有マニュアルを充分に良いものだと考えるのはなぜだろうか。一部のユーザーは、それが問題だとは考えたこともないようだ。本稿でこの傾向を変えられればと私は願っている。

 他のユーザーは、私有ソフトウェアを認める多くのユーザーと同じ理由で、私有マニュアルを許容できると考えている。彼らは、純粋に実用的な条件で判断し、自由を基準としていない。彼らでも思想を持たないわけではないが、彼らの思想は自由を含まない価値観の延長なので、自由を価値と認める私たちを導くことはできない。

 この問題を広く伝えるようにしていただきたい。私たちは、私有出版のためにマニュアルを失い続けているのだ。私有マニュアルでは不充分だという考え方を普及させれば、ドキュメントの執筆によってGNUを支えたいと考えている次の人が、何よりもまずそのドキュメントをフリーにしなければならないということを考えてくれるはずだ。まだ遅くはない。

 また、商業出版に対しても、私有マニュアルではなく、フリーのコピーレフトマニュアルを販売することをお勧めしたい。読者は、マニュアルを買う前に、頒布条件をチェックし、コピーレフトになっていないマニュアルではなく、コピーレフトになっているマニュアルを買うことによって、フリーマニュアル出版を支援することができる。

 [注:フリーソフトウェア財団は、他の出版者が発売しているフリー書籍のリストをまとめたWebページ (http://www.gnu.org/doc/other-free-books.html)を管理している。]

初出:第1稿は2000年に執筆。このバージョンは、"Free Software, FreeSociety: Selected Essays of Richard M. Stallman", 2002, GNU Press(http://www.gnupress.org/); ISBN 1-882114-98-1の一部である。

本文に一切の変更を加えず、この著作権表示を残す限り、この文章全体のいかなる媒体における複製および頒布も許可する。


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