皆さんは、私のフリーソフトウェアの仕事をよくご存知でしょう。でも、今回はフリーソフトウェアの話ではありません。ソフトウェア開発を危険に晒す法律の濫用について話します。つまり、ソフトウェアの分野に特許法が適用されたときに発生することです。
しかし、ソフトウェアに特許を与えることについての話ではありません。そういう問題ではないので、ソフトウェアに特許を与えることが危険だと言うと、誤解を招いてまずいことになります。個々のプログラムに特許を与えても、それは今までと特に変わりはなく、基本的に無害です。私が言いたいのは、アイディアの特許です。すべての特許は、何らかのアイディアを含んでいます。ソフトウェア特許とは、ソフトウェアのアイディア、皆さんがソフトウェアを開発するときに使うアイディアを対象とする特許です。これがあらゆるソフトウェア開発の仕事を危機に晒すものなのです。
皆さんは、「知的財産権」という誤った用語を使っている人を見かけたことがあるでしょう。ご存知のように、この用語にはバイアスがかかっています。ほかに選択肢はいくらもあるのに、この用語は、対象になるあれこれを一種の財産として扱うという前提条件を持ち込んでいます。「知的財産権」という用語は、どの対象について使ったとしても、基本的な疑問の大半をあらかじめ封じてしまいます。明晰で開かれた精神による思考を導くものとは到底言えません。
この用語には、バイアスを広げることとは無関係なところでもう1つ別の問題があります。事実の理解さえ阻むのです。「知的財産権」という用語は、何にでも対応できます。この用語は、著作権と特許のようにまったく異なる分野の法律をひとまとめにします。この2つは、細部の隅々に至るまで、まったく異なる存在ですが、さらにまったく異なる分野である商標や、その他のあまりお目にかからないものまですべてひとまとめにしてしまいます。これらの中で、他のものと共通点を持っているものはありません。歴史的な起源だって違うし、対応する法律はまったく別々に作られています。対象となる生活領域だって違います。要請する公共政策問題だってまったく無関係ですから、十把一絡げにして考えたところで、得られる結論は馬鹿げたものになること間違いなしです。「知的財産権」なるものに対しては、まともな意味のある意見の持ちようがありませんから、明晰な思考を目指すなら、これらを混ぜこぜにしてはなりません。著作権について考えてから、特許について考える、著作権法について学習してから、別個に特許法について学習するのです。
著作権と特許の間の大きな違いをいくつか示しておきましょう。
今回は特許についての話ですから、ここからは著作権のことは忘れるようにしてください。そして、これからは著作権と特許を混ぜこぜにしないようにしてください。これらの法律問題を明晰に理解するためには、そうしなければならないのです。
水とエタノールの区別がつかなければ、実験科学(あるいは料理)の理解はどうなってしまうか考えてみてください。
皆さんが誰かから特許制度の説明を聞くとき、通常、その人は特許権をほしがっている人の視点から説明します。まるであなたが特許を取ることがあるかのように、あなたが街を歩き回るときにポケットに特許状を持っていて、ひんぱんにそれを取り出しては、誰かに示し、「私にお金を支払いなさい!」と言えるかのような説明をします。
このようなバイアスがかかるのには理由があります。特許制度について説明するたいていの人は、この分野に利害関係を持っており、あなたがこの制度に好感を持ってくれるとよいなあと思っているのです。理由はほかにもあります。特許制度は宝くじのようなもので、特許保持者に実際に利益を運んでくるものは、全体のうちのごくわずかなのです。The Economist 誌は、以前特許を「時間のかかる宝くじ」に喩えたことがあります。宝くじの広告というのは、見ればわかるように、いつでも勝つことを考えるように誘惑します。負ける確率のほうがはるかに高いのですが、負けたらどうなるだろうなどと考えさせるような宣伝はありません。特許制度の宣伝にも同じことが言えます。いつでも勝者になることを考えるように誘いをかけているのです。
バランスを取るために、犠牲者の視点から特許制度について説明してみましょう。つまり、ソフトウェアを開発しようとしたものの、ソフトウェア特許制度の壁にぶち当たった人の視点から見てみようというのです。この人は下手をしたら告訴されてしまいます。
では、自分が書こうとしているプログラムについてアイディアが浮かんだら、まず最初に何をするでしょうか。
特許制度とうまくやっていくために最初にやっておきたいことは、あなたが書きたいプログラムに関わりのある特許がどれかを見つけ出すことです。でも、不可能ですね。
出願された特許の一部が保留状態になっている理由は、秘密にされています。特許が設定されるのは、18か月くらいの時間が経過してからです。しかし、それだけの時間があれば、プログラムを書き、リリースしても、それがいずれ特許の対象になり、あなたが告訴されることに気づかないということは充分にあり得ます。
これは机上の空論ではありません。1984年にデータ圧縮を行う compress というプログラムが書かれました。当時、LZW 圧縮アルゴリズムに特許は設定されていませんでした。その後、合衆国はこのアルゴリズムに特許を設定し、それから数年間、compress プログラムを頒布した人々は、びくびくさせられることになりました。
compress の作者は、まさか告訴されるかもしれなくなるとはとても予想できませんでした。彼は、プログラマがいつもするように、雑誌で見つけたアイディアを使っただけです。雑誌でアイディアを見つけたとき、そのアイディアはもう安全に使えないかもしれないなどとは思いもしませんでした。
この問題については忘れておくことにしましょう。設計された特許は、特許庁によって公表されます。ですから、その長いリストを探し、実際に何が書かれているかを見ることはできます。
もちろん、その長大なリストはあまりにもたくさんありますから、実際にリスト全体を読むことはできません。合衆国には、数百あるいは数千のソフトウェア特許があります。特許の状態がどうなっているかを把握する方法などありません。関係者を探さなければならないのです。
たとえば、スプレッドシートの自然順序再計算にはソフトウェア特許がかけられていました(今はもう消滅しているかもしれません)。これはどういうことかというと、他のセルに依存するセルを作ったとして、依存元が変わったら、関係するすべてのセルを再計算し、再計算が終了したときにはすべてのセルが最新の状態になるということです。最初期のスプレッドシートは、トップダウン方式で再計算を行っていましたので、下のほうのセルに依存するセルを作るとか、その手のことをすると、新しい値を上のセルに反映させるために数回にわたって再計算しなければならなかったのです(依存するセルは上にあるものだとされていたのです)。
その後、ある人が、なあんだ、依存しているものに合わせてすべてのセルを再計算すればいいじゃないかということに気が付きました。このアルゴリズムは、トポロジカルソートと呼ばれています。私が見つけられた最初の参考文献は 1963年のものです。この特許は、トポロジカルソートを実装する数十種類の方法を対象としていました。
しかし、この特許は、「スプレッドシート」という単語で検索しても見つかりません。「自然順序」とか「トポロジカルソート」という単語で検索してもだめです。特許の中には、これらの用語は一切含まれていないのです。実際、この特許は、「式をオブジェクトコードにコンパイルする」方法と説明されていました。初めて見たとき、その特許は間違いかと思いました。
特許のリストを入手し、自分がしてはならないことを調べようと思ったとします。特許を調べてみるとすぐにわかりますが、これらは非常にひねくれたわかりにくい法律用語で書かれており、そう簡単には理解できません。特許庁が言っていることは、それらが意味しているように見えることを意味していないことがよくあります。
1980年代にオーストラリア政府が特許制度について研究したものがあります。その研究は、国際的な圧力がなければ、特許制度を持つ理由は見当たらない(国民にとっての利益は何もない)と結論付けており、国際的な圧力さえなければ制度を廃止することを推奨しています。論拠の1つとしては、特許が難しすぎて理解不能であるために、技術者たちが特許を読んで学習しようとしないことが挙げられています。ある技術者が「特許状に書かれている自分の発明を理解できなかった」と言ったことが引用されています。
これは、ただの理屈ではありません。1990年頃、ポール・ヘッケルというプログラマが、Hypercard によって彼の2つの特許が侵害されたと主張して Apple を訴えました。初めて Hypercard を見たとき、彼は自分の特許だの「発明」だのとの間に関係があるとは思いませんでした。似たところなどなかったんですから。特許状を読むと Hypercard の一部に特許に抵触する部分があるよと弁護士に吹き込まれたから、彼は Apple を攻撃する気になったのです。スタンフォードで私がこの話をしたとき、聴衆の中に彼がいました。彼は、「それは正しくない。私は自分の権利がどこまで保護されているのかを理解していなかっただけだ」と言いました。私は、答えました。「だからそう言ったでしょ」
というわけで、あれやこれやの特許が何を禁じているのかを知るためには、何時間もかけて弁護士と相談しなければなりません。最終的に、彼らが言うのはこんなことです。「ここでこういうことをすれば、あなたは確実に負けます。ここ(RMS が広いスペースを払いのける仕草をする)で何かをすれば、負ける可能性はかなり高いです。本当に安全でいたければ、この領域(さらに広いスペースを払いのける仕草)には、近づかないことです。ちなみに、訴訟の結果は、かなりの部分偶然に左右されます」
仕事をするための予想可能な領域が用意されたところで(!)、皆さんはどうしたらよいでしょうか。トライできるアプローチは3種類あり、どれも場合によっては使えます。
「特許を避ける」とは、特許の対象となっているアイディアを使わないということです。これは、アイディアが何かによって簡単にも難しくもなります。
場合によっては、ある機能が特許を受けていることがあります。その場合、その機能を実装しなければ特許を避けることができます。あとは、その機能がどれだけ重要かという問題になります。
その機能なしでやっていける場合はあります。かなり以前になりますが、XyWriteというワードプロセッサのユーザーたちは、略語をあらかじめ定義できる機能を取り除くダウングレードをメールで受け取りました。略語に続いて句読点を打つと、その略語を展開した内容に置き換わるという機能です。長いフレーズに対して略語を定義しておき、略語を入力すれば、そのフレーズが文書内に残るというわけです。開発元は、Emacs エディタに同様の機能があることを知っていたので、私にこのことを知らせてきました。Emacs にこの機能がついたのは1970年代からですね。何しろ、特許にできるアイディアを少なくとも1つ発明したことがわかったわけで、へーそうかと思いました。誰か他人があとで特許を取るまで、それで特許が取れるなんてわかりませんでしたよ。
実際のところ、XyWrite の開発元は、3つのアプローチをすべて検討しました。まず、特許権者と交渉しようとしましたが、まともに話のできる相手ではありませんでした。次に、特許を無効にするチャンスを窺うこともしました。しかし、結局最終的には、その機能を諦めたのです。
この機能がなくても生きていくことはできます。失った機能がこれだけなら、人々はまだそのワードプロセッサを使い続けるでしょう。しかし、さまざまな機能が特許に該当し始めたら、人々はこんなプログラムは余り良くないと思い、プログラムを使うのをやめるでしょう。
今話したものは、非常に限定された機能に対するごく狭い範囲の特許です。しかし、ダイアルアップアクセスでハイパーリンクをたどることについての BritishTelecom の特許はどうしたらよいでしょうか。ハイパーリンクをたどることは、今日のコンピュータにとって欠くことのできない重要な機能です。ダイアルアップアクセスも非常に重要です。この機能なしでどうやっていったらよいのでしょうか。ついでに、これは1つの機能ですらありません。適当に並べた2つの機能の組み合わせです。これは、同じ部屋にソファとテレビを置くことに特許をかけるようなものです。
非常に広範で根本的なアイディアに特許がかかってしまって、ある分野全体が金縛りにかかってしまうことがあります。たとえば、合衆国で特許を取った公開鍵暗号化のアイディアなんかがそうです。この特許は、1997年に切れましたが、それまでは合衆国内で公開鍵暗号化が使われるのを大きく阻んできました。いくつものプログラムが開発途上で頓挫しました。特許権者に脅されたために、どうしてもリリースできなかったのです。その後、PGPという最初はフリーソフトウェアだったプログラムがリリースにこぎつけました。特許権者は、攻撃の態勢を整える前に、このままではえらく評判が悪くなるぞと思ったのでしょう。非営利目的なら利用できるように制限を緩めました。こうすれば、そんなに騒がれることはありません。彼らは、10年以上にわたって公開鍵暗号化の使用を大きく制限しました。この特許は避けようがなく、公開鍵暗号化に代わるものは他にありませんでした。
特定のアルゴリズムが特許化される場合もあります。たとえば、高速フーリエ変換(FFT)の最適化バージョンにかけられている特許です。速さがだいたい2倍になりますが、普通のFFTを使えばこの特許は避けられます。プログラムのその部分は2倍の時間がかかることになります。ひょっとすると、引っかかるのはプログラムの実行時間のごくわずかの部分で、大した問題にはならないかもしれません。2倍もかかっているのに、ちっとも気が付かないかもしれません。しかし、その仕事に2倍もの時間がかかるので、プログラムは全然動かなくなっちゃうかもしれません。効果はまちまちです。
場合によっては、もっといいアルゴリズムを見つけられることもあります。うまくいく場合もそうでない場合もあります。GNU プロジェクトでは compress が使えなかったので、別のデータ圧縮アルゴリズムを探し始めました。すると、いいアルゴリズムがあるよと知らせてきた人がいました。彼はすでにプログラムを書いており、それを寄付することにしたというのです。私たちは、それをリリースするつもりでした。その頃、偶然 New York Times を見たところ、たまたま週に1度の特許のコラムが目に入りました(私が Times を見るのは、数か月に1回だけです)。それで、読んでみると、誰かが「新しいデータ圧縮方式の発明」の特許を取ったというのです。この特許は読んでおいたほうがよかろうと思い、コピーを取り寄せると、リリースまであと1週間というところまでこぎつけたプログラムがそれに引っかかることがわかりました。そのプログラムは、ボツになりました。
その後、特許と関係のない別のアルゴリズムが見つかり、それがgzipのもとになりました。今、gzipはデータ圧縮の分野では、事実上の標準になっています。データ圧縮プログラムで使うアルゴリズムとして、それは優れていました。データ圧縮を実行したい人は、誰でもcompress の代わりに gzipを使うことができます。
GIF などのイメージフォーマットでも、同じ特許が引っかかる LZW 圧縮が使われています。しかし、この分野でユーザーが本当にやりたいことは、単純にデータを圧縮することではなく、それぞれのソフトウェアで表示できるイメージを作ることだったので、異なるアルゴリズムへの切り替えは、とても大変でした。10年たってまだ実現できていないのです! 確かに、GIF ファイルを使っているために訴えられる脅威が現実のものとなってから、gzipのアルゴリズムを使った新しいイメージフォーマットが定義されました。私たちがGIF ファイルを使うのを止めて、こちらのフォーマットに切り替えるように呼びかけを始めたとき、人は、「切り替えはできないよ、ブラウザがまだ新しいフォーマットをサポートしていないもの」と言いました。ブラウザの開発元は、「その仕事については急ぐ予定はありません。何しろ新フォーマットは誰も使っていないのですから」と言いました。
このようにGIFを使うという社会内の慣性が強く働いたため、私たちはまだ新フォーマットへの切り替えに成功していません。基本的に、コミュニティがGIFを使っているということが、GIFの使用を後押ししており、コミュニティを脅威に晒す結果を招いています。
実は、この問題には、さらに変な話がくっついています。LZW 特許は、実際には2つあるのです。特許庁は、同じものに2つの特許を設定していることにさえ気づかず、自分がしたことさえ把握できない。しかし、これには理由があります。2つの特許を見て、両者が実際には同じものを対象としていることに気づくまでには、かなり時間がかかるのです。
何らかの化学処理のようなものに対する特許なら、話はもっと簡単だったはずです。どのような物質が使われており、入力が何で、出力が何で、どのような物理操作を加えたのかはすぐにわかるでしょう。どのような書き方になっていても、それが何か、2つのものが同じかどうかはわかります。しかし、純粋に数学的なものの場合、記述方法はいくつもありますし、その中にはかなりかけ離れたものも含まれます。それらは、一見同じものには見えません。本当は同じことを言っているんだと気づくためには、本当に理解しなければなりません。特許庁には、それだけの時間がありません。数年前の時点で、合衆国特許庁は、1つの特許について17時間ずつを使っていました。じっくり考えるにはあまりにも短いので、当然、このような誤りも犯します。先ほど、ボツになったプログラムの話をしましたが、そのアルゴリズムも米国内で2つの特許に引っかかっていたのです。これは決して特別なことではありません。
特許を逃れるのは簡単な場合もあれば、不可能な場合もあります。簡単でもプログラムが使い物にならなくなることもあります。どうなるかは、状況次第です。
私が言いたいことはもう1つあります。企業やコンソーシアムは、あるフォーマットやプロトコルを事実上の標準に押し上げることができます。その後で、そのフォーマットやプロトコルに特許がかけられたら、本当に深刻な打撃になります。世の中には、特許によって制限が加えられた公式標準さえあります。2001年に W3C (World Wide Web Consortium)が特許がかかっている技術を標準として採用しようと提案したときには、大騒ぎになりました。コミュニティの反対のために、W3C は提案を取り下げ、すべての特許は誰もが自由に実装できなければならない、そして標準は誰もが自由に実装できなければならない、という主張に引き戻されました。これは、面白い意味のある勝利です。標準策定団体がこのような決定を下したのは、初めてなんじゃないかなあ。普通なら、標準策定団体は、標準の中に特許で制限されているものを突っ込み、人々が先に進んで自由に実装することを禁止する方向に走るものです。私たちは他の標準策定団体にも働きかけ、規則の変更を要求しなければなりません。
特許を避けるというのではない第2の可能性は、特許の実施権の取得です。もっとも、うまくいくとは限りません。特許権者は、実施権を提供しなくてもよいのです。実施権提供は義務ではありません。10年前、プログラミング自由連盟(LPF:League for Programming Freedom)は、ある人物から助けを求める手紙を受け取りました。その人物は、家業でカジノ用ギャンブルマシンを作っており、そのマシンは当時すでにコンピュータを組み込んでいました。彼は、別の会社から、「うちは特許を持っている。お前にはそんなものを作る権利はない。今すぐ止めろ」と脅しをかけられたのです。
私はその特許を見ました。ネットワーク上にいくつかのコンピュータを置き、個々のコンピュータが複数のゲームをサポートして、同時に複数のゲームを楽しめるようにすることを対象としていました。
特許庁は複数のものをすることが何かすばらしいことだと本気で考えている節があります。彼らは、コンピュータ科学においては、こうすることが一般化のためのもっとも自明な方法だということを知らないのです。1度やったことを複数回やりたければ、サブルーチンを作ればよい。しかし、特許庁は何かを複数回行ったら、それをした人は優れているのだから、その人には誰も争えず、その人がみんなを支配していいんだと思っているのです。
いずれにせよ、彼は実施権を得られず、手を引かざるを得ませんでした。彼には、裁判に訴える資力さえなかったのです。その特許は特別な発明ではないと主張できたはずですし、判事もその通りだと思う可能性もありましたが、彼が諦めたので、どういう結果になっていたかはわかりません。
もっとも、多くの特許権者は、実施権を提供しています。ただし、そのためにかなり高額の料金を要求することがよくあります。例の自然順序再計算特許の会社は、米国のすべてのスプレッドシートの総売上の5%を要求していましたが、訴訟になる前の価格としては安いほうだと言われました。実際に訴訟になって相手方が勝てば、もっと高額の料金を要求されることになるでしょう。
この1つの特許の実施権のために売上の5%を支払うことは可能だとしても、プログラムを作るために20種類の特許の実施権が必要だとしたらどうなるでしょうか。入ってきた売上は、すべて特許のために消えちゃいますねえ。21種類の特許の実施権が必要ならどうなるでしょうか。ビジネス界の人から聞いたところによれば、現実的に言って、そのような特許実施権が2、3件もあれば、ビジネスは成り立たなくなるそうです。
特許の実施権を得ることが非常にうまく機能する場合があります。それは、大規模な多国籍企業に勤務している場合です。その手の企業は無数の特許を持っていますので、互いに特許実施権を与え合うクロスライセンスを結ぶのです。大企業は、このようにして特許制度のほとんどの害を逃れ、利点だけを手にします。
IBMは、Think誌の、確か1990年の第5号だったと思いますが、それに手持ちの特許についての記事を公表しました。それによれば、IBMは、9000件の米国特許(現在はもっと大きな数字になっているはずです)から、2種類の利益を引き出していると言います。1つはロイヤリティ収入、もう1つは「他社の特許へのアクセス」です。IBMによれば、第2の利益のほうが桁違いに大きいということです。つまり、他社が特許を持っているアイディアをIBM でも使えるようになる利益は、IBMが特許の実施権を販売して得る直接的な利益の10倍だったということです。
これはどういう意味でしょうか。IBMが「他社の特許へのアクセス」から得ている利益とは何なのか。それは、基本的に、特許制度が引き起こす障害に巻き込まれないという利益です。特許制度は、宝くじのようなものです。特定の一つの特許は、何の意味もないかもしれないし、特許権者に棚ぼたの大もうけをさせるかもしれないし、他のすべての人々にとって大きな不幸の元になるかもしれない。しかし、IBMは非常に巨大ですから、これらの効果が平均化されます。だから、彼らは特許制度の利害を平均化して計算します。実際には、IBM にとって、特許制度の害は、利益の10倍だったはずなのです。
今「だったはず」と言ったのは、IBMがクロスライセンスによって実害を受けるのを避けているからです。その実害は潜在的なものであり、実際に降りかかってくるわけではありません。しかし、その実害を避けられた利益を計算するときに、IBMは特許から集めたお金の10倍だという数字をはじき出しているのです。
クロスライセンスのこの現象は、「飢えた天才」の神話や特許が「小さな発明家を保護する」という神話など、広く受け入れられている特許神話を打ち壊すものです(この手の話はプロパガンダですから、乗っからないように)。
シナリオはこんなところです。何かの分野の「優れた」設計者がいたとします。彼は、「屋根裏で極貧のうちに数年を」過ごし、新しくすばらしい種類の何やらを設計し、それを製造したいと考えます。そこに、大企業がやってきて彼と競争し、すべてのシェアを持っていってしまい、彼が「飢える」ことになったら、ひどい話でしょ?
まず、ハイテク分野の人々は、一般に自営では働いておらず、アイディアが真空からやってくるわけではない、つまり他人のアイディアをもとにしている、そして、仕事が必要なら、そういう人が職に着くチャンスはいくらでもあるということを言っておかなければなりません。ですから、一人で働いているこの優れた個人に優れたアイディアが浮かぶというこのシナリオは非現実的であり、彼が餓死する危険があるという考えもリアリティがない。
しかし、あのアイディア、このアイディアというように100件から200件くらいのアイディアを持っている誰かが、何らかの製品を作るための核となり、大企業が彼に競争を仕掛けてくるというシナリオは考えられます。彼が特許を使って大企業を排除しようとしたらどうなるか考えてみましょう。彼は言います。「だめだよ、IBM、ほくと競争することはできない。この特許を持っているのはぼくなんだから」 IBM は答えるでしょう。「ちょっと、お前んとこの製品を見せてみろ。ふむふむ、うちはこの特許とこの特許とこれとこれとこれとこれだけ特許を持っているぞ。お前の製品のこれだけの部分が特許侵害だ。法廷で戦うつもりだと言うのなら、会社に戻ってうちの特許をもっと探してくるぞ。それでも、うちとクロスライセンスを結ばないつもりか」 すると、優れた小発明家は、「わかりました、クロスライセンスを結ばさせていただきます」と答えることになるだろう。これで彼は自分の会社に戻り、すばらしい何とやらを作れるようになりますが、IBM だって同じものを作れるのです。IBMは、彼の特許への「アクセス」を手に入れ、彼と競争する権利を手に入れます。この特許は、彼を全然「保護」していませんよね。特許制度は、神話通りの機能など果たしていないのです。
大企業は、特許制度の害の大半を避けられますので、自分の得になる方をメインに見ています。大企業がソフトウェア特許を持ちたがるのはそのためです。大企業は、ソフトウェア特許から利益を受けるのです。しかし、一人の小発明家であったり、中小企業で働いていたりしたらどうなるのか。中小企業は、大企業のようなことはできません。やってみても、(すべての相手とクロスライセンスを結ぶためには)手持ちの特許が少ないのです。
特許はどれも、特定の方向を指差しています。中小企業がそことそことそこを指している特許を持っているときに、向こうの人(別の場所を指して)がそっちを指す特許を持っていて、お金をくれと言ったら、中小企業はもうお手上げです。IBMは、すべての方向を指す 9000件の特許を持っているので、それでも大丈夫です。どこに行っても、IBMはあなたの方を指す特許を持っていることでしょう。というわけで、IBMはほとんど必ずクロスライセンスを結べます。中小企業が誰かとクロスライセンスを結べるのは、ごくたまにです。中小企業が防衛のために特許がほしいと言ったとしても、自分を守れるだけの特許を取ることはできません。
しかし、IBM でさえ、クロスライセンスを結べない場合はあるかもしれません。それは、特許権を取り、他人からお金を搾り取ることだけを目的としている会社があった場合です。自然順序再計算特許の会社は、まさにそういう会社でした。この企業の唯一の業務は、人々に訴えるぞと圧力をかけ、実際に何かを開発している人々からお金を巻き上げることでした。
ついでに言えば、訴訟手続きには特許はありません。法律の専門家は、特許制度そのものを相手にするのがどれだけしんどいことかを知っているんでしょうね。結局のところ、その会社とクロスライセンスを結んで特許を手に入れることはできません。その会社はすべての相手からお金を搾り取ります。しかし、IBMのような会社は、それも業務遂行のためのコストの一部として充分に計算に入れているのでしょう。
特許実施権を得るという可能性については以上です。可能な場合もそうでない場合もあり、払える場合もそうでない場合もある。そこで、第3の可能性に目を向けることになります。
特許を得るためには、おそらく新規性、有用性、非自明性が必要です (おそらくと言ったのは、これがアメリカでの用語だからで、他の国にはほぼ同様の他の表現があると思います)。もちろん、特許庁がゲームに参加した時点から、「新規性」と「非自明性」の解釈は始まっています。「新規性」とは「うちの原簿には含まれていない」、「非自明性」とは「IQが50の誰かさんには自明ではない」という意味のようです。
合衆国内のソフトウェア特許案件について研究しているある人物によれば(少なくとも、以前は研究していましたが、今も追いかけているかどうかは知りません)、特許庁の90%の人間は、「クリスタルシティテスト」をパスしないだろうということです。つまり、特許庁の人たちが外に出てニューススタンドに寄り、何かのコンピュータ雑誌を買えば、それらのアイディアがすでによく知られたものだということがわかるはずだというのです。
特許庁は、自明に馬鹿げたことをしており、彼らが馬鹿だということを理解するには、別にこの分野の最先端を知っている必要さえありません。これはソフトウェアに限ったことではありません。私は有名なハーバードマウスの特許を見たことがあります。この特許は、ハーバード大学が発癌性の遺伝子を持つマウスを遺伝学的に作り出したあとに設定されたものです。その発癌性遺伝子はすでに知られており、すでに知られている種類のマウスにすでに知られているテクニックを使って導入されています。その特許は、任意の方法で任意の種類の哺乳類に任意の発癌性遺伝子を導入することを対象としています。これが馬鹿げていることを理解するために、遺伝子工学の知識はいらないでしょう。このような「請求のし過ぎ」はよくあることであり、合衆国特許庁は出願者に対象を広げることを勧誘することがあるそうです。基本的に、出願対象は、明らかに他者の先行研究にぶち当たりそうだと思うくらいのところまで広げるものだそうです。頭の中のスペースをどのくらい持ち逃げできるかイメージしてください。
プログラマは、さまざまなソフトウェア特許を見ると、「これは、滑稽なくらい自明だ!」と言います。しかし、特許庁の役人たちの手元には、プログラマが考えるようなことを無視することを正当化するありとあらゆる言い訳が用意されています。「でも、10年前とか20年前とかにどうだったかということを基準として考えなければいけませんよ」 彼らは、その後も何かをうんざりするほど言っていれば、あなたのほうがおかしくなってくることを知っています。どんなものでも、充分ばらばらにして充分に分析すれば、自明ではないように見えてきます。あなたは、自明性のすべての標準を見失うことでしょう、少なくとも、自明と非自明を分けるあらゆる標準を正当化できなくなります。するともちろん、彼らは一人残らず特許所持者のことを優秀な発明家というわけです。ですから、私たちは、彼らが権力を振りかざす資格を問うことはできないのです。
法廷に行くと、判事たちは、何が自明で何がそうではないかということについて、ほんの少しだけ厳格になるようです。しかし、問題は、そのために何百万ドルもかかるということです。
私が聞いたある特許裁判では、被告は Qualcomm だったと記憶していますが、判決は確か1300万ドルで、その大半が双方の弁護士報酬に化けたそうです。原告に残されたのは(Qualcomm は負けたわけですから)、数百万ドルだったといいます。
特許が正当なものかどうかという問題のかなりの部分は、歴史的な偶然に左右されます。いつ正確なところ何が出版され、誰かがうまく見つけ出したのがその中のどれで、失われなかったのがそのうちのどれで、正確な日付がどうで、といった偶然です。多くの歴史的な偶然が、特許の有効/無効を決めてきました。
実際、British Telecomの「電話アクセスでハイパーリンクをたどる」件についての特許が1975年に出願されているのは、変なことです。私が初めて Info パッケージを開発したのは、1974年のことだったと思います。Infoパッケージは、ハイパーリンクをたどれるようにするもので、ユーザーは電話を使ってダイアルアップし、システムにアクセスしていました。つまり、実際には私がこの特許の先行業績を作っていたことになります。これは、私の人生で2番目の特許にできるアイディアということになります。
しかし、その証拠は見つからないでしょう。私は、まさかこれが論文にして公表するほど面白いことだとは思いませんでした。だって、ハイパーリンクをたどるというアイディアは、エンゲルバートのエディタのデモから得たものだったわけで、公表すべき面白いアイディアを生んだのは彼です。私がしたことは、自分では「貧乏人のハイパーテキスト」と呼んでいたもので、それは TECOのコンテキストで実装しなければならなかったからです。これは彼のハイパーテキストほど強力ではないものの、少なくともドキュメントのブラウジングには役立つもので、目的はまさにそれだったのです。そして、システムへのダイアルアップアクセスの方について言えば、確かに当時からありましたが、私には片方ともう片方に特別な関係があるなどとはとても思いつきませんでした。「見てください。私は貧乏人のハイパーテキストを実装しました。それに、聞いてください。コンピュータにダイアルアップ回線も接続したんです」などというタイトルの論文を出版しようとはとても思いませんでした。
私がこれを実現した正確な日付を調べる方法はないんじゃないかと思います。何らかの意味でこれを公表したことはあったでしょうか。ARPANET 越しに来客を招き、私たちのマシンにログインしてもらったので、彼らはInfoを使ってドキュメントをブラウズしたはずです。彼らが私たちに尋ねてくれれば、彼らは私たちがダイアルアップアクセスしていたことを知っていたでしょう。ここからもわかるように、先行業績と認められるかどうかは、歴史的偶然によって決まるのです。
そして、エンゲルバートがハイパーテキストについての発表をしていますから、彼ら被告はもちろんそれを提出するでしょう。しかし、その発表には、コンピュータへのダイアルアップアクセスについては何も書かれていないので、それで充分な証拠になるかどうかははっきりしません。
法廷で特許を無効にするという可能性は選択肢の1つではありますが、特許を無効にできるだけの明確な先行研究を見つけられる場合でも、費用のことを考えれば問題外となることが多くなります。そのため、無効な特許、文字通り存在すべきではない特許(しかし、実際にはそのようなものが無数にありますが)は、大変危険な武器なのです。誰かが無効な特許であなたを攻撃したら、それは、あなたにとって非常に大きなトラブルになる可能性があります。先行研究を示して彼らを追い返せる場合もあるかもしれませんが、それは彼らがそのような形で怖がるかどうかにかかっています。「どうせ、はったりをかましているだけだろう。お前が実際に法廷に行けないことは百も承知さ。お前にはそんな余裕はない。だから、こっちはお前のことを訴えるまでだ」と思うかもしれないのです。
これら3種類の選択肢は、どれもあえて使う可能性のある手段ではあるものの、使えないケースもよくあります。次から次から襲ってくる特許に対処しなければなりません。これら3つの中のどれかが使えると思う場合、必ず次の特許、その次の特許、さらにその次の特許が現われます。地雷原を横切るようなものです。一歩前に進み、1つ設計上の決定を下すたびに特許を踏ん付けることはたぶんないでしょうから、数歩進むだけなら地雷が爆発しないこともあるでしょう。しかし、地雷原を完全に横切り、プログラムが大きくなっていくと、特許を踏ん付けないで目的のプログラムを開発できる可能性は下がっていきます。
さて、私はよくこう言われます。「他の分野にも特許はあるでしょう。なぜ、ソフトウェアだけが例外なのですか」 この言い方には、私たちみなが特許制度の犠牲にならなければならないという奇妙な仮定が紛れ込んでいることに注意してください。これは、「一部の人は癌になる。なぜあなたは例外でなければならないのか」と言っているのと同じです。当然ながら、癌にならない人はみんなよかったということなのです。
しかし、それは別としても、あまりバイアスのかかっていない、良い質問が含まれています。それは、ソフトウェアと他の分野に違いはあるのか、特許政策は分野によって変えるべきなのか、もしそうだとしたら、それはなぜか、ということです。
私の答えは、分野が異なれば特許と製品の関係も変わるので、特許政策は分野によって変えるべきだ、ということになります。
一方の極には、1つの化学式が特許になり、1つの特許が1つの製品だけを対象とする薬学があります。新薬が既存の特許に引っかかることはありません。この新しい製品のために特許が必要だとすれば、特許権者は新製品を開発した人になるはずです。
このような形態は、私たちの特許制度に対する素朴なイメージ、つまり、新製品を設計したら、「特許」を獲得するというイメージにぴったり合っています。これは、1つの製品について1つの特許があり、その特許は製品のアイディアを対象としているという考えです。このイメージは、分野によっては真実に近く、分野によっては真実から遠くかけ離れています。
ソフトウェアという分野は、真実からかけ離れた分野の最たるものです。1つのプログラムが無数の特許と交錯します。これは、通常ソフトウェアパッケージというものが非常に大規模だからです。ソフトウェアパッケージは、多くの異なるアイディアを組み合わせて作られています。プログラムが真新しいもので、ただコピーしただけのものではなくても、それはいくつかの異なるアイディアを組み合わせて使っています。もちろん、アイディアの名前を呼んだらそれらが魔法のように動き出すわけではないので、それらのアイディアは新しく書かれたコードによって具体化されているのです。プログラマは、アイディアをすべて実装しなければなりません。それらすべてのアイディアをその組み合わせで実装しなければならないのです。
1つのプログラムを書くときでさえ、無数の異なるアイディアを使うわけですから、その中の1つが誰かの特許の対象になっている可能性はあります。2つのアイディアが誰かによって組み合わせの形で特許化されている場合もあります。1つのアイディアの記述方法にはいくつかの異なる方法がありますから、1つのアイディアがさまざまな人々の特許の対象になることさえあります。プログラムに数千のアイディアが含まれていれば、他人がすでに特許を取っている危険のある場所が数千箇所含まれていることになります。
ソフトウェア特許がソフトウェアの進歩、ソフトウェア開発の仕事の障害になるのは、このためです。「一特許、一製品」の分野なら、特許が製品開発の障害になることはないでしょう。そういうことであれば、新製品を開発しても、誰かがすでに特許を取っているということはありません。しかし、1つの製品が無数の異なるアイディアの結合体になっている場合、新製品の一部または全部に、誰かがもう取った特許が含まれている可能性は高くなります。
実際、段階的に発展する分野に特許制度を押し付けるといかに進歩が遅れるかを示す経済調査があります。ソフトウェア特許の推進者たちは、「ええ、確かに問題はあるでしょう。しかし、どの問題よりも重要なのは、特許が発明を確実に促進するということです。このことは非常に重要ですから、特許によってほかにどんな問題が起きようがかまわないということになるのです」などと言います。もちろん、彼らとて、こんな馬鹿げたことを声高に言うことはしませんが、暗黙のうちに、特許が進歩を促進するなら、他のあらゆるコストよりもその価値を高く評価してもらいたいと思ってはいるのです。しかし、特許が進歩を促すなんていうことは決してありません。現在は、特許が進歩をどのようにして遅らせるかをきっちり示すモデルがあります。このモデル、段階的発展は、ソフトウェアの分野を非常によく説明してくれます。
ソフトウェアが、もう一方の極に位置するのはなぜでしょうか。それは、ソフトウェアの世界では、観念化された数学的なもの、オブジェクトを開発しているからです。この分野では、複雑な城を構築しながら、それを細い線の上に立たせることができますが、それは城に重さがないからです。他の分野では、現実のもの、物質が持つ厄介な癖と格闘しなければなりません。物質には、変えられない性質があります。何かを物質のモデルとして試してみることはできますが、モデルが実際の物質に合わなければ、その作業は困難になります。本当の問題は、物質を本当に働かせることだからです。
ソフトウェアの世界では、while 文の中にif文を挿入したいと思ったとき、if文が特定の周期で振動し、while 文に揺さぶりをかけ、最終的にwhile 文を壊してしまうのではないかなどと考える必要はありません。また、if文を特定の高周波数で振動させると、他の変数に値が格納されるような信号が生まれるのではないかなどと考える必要もありません。if文がどれだけの電流を流すかとか、while文内に熱を放散するかどうかとか、while 文全体に電圧低下が発生してif 文が機能しなくなるのではないかといったことを心配する必要もありません。塩水の中でプログラムを実行したら、if 文と while 文の間に塩水が入り込み、腐食が起きるのではないかという心配はないのです [聴衆は、この間大笑い]。
変数の値を参照しているときに、20回も参照したのでファンアウトを越えてしまうのではないかとか、静電容量がどのくらいかとか、値をチャージアップするだけの時間があるかといった心配はどこにもありません。
プログラムを書くときに、個々のコピーを物理的に組み立てる方法とか、while文の中にif文を挿入することが本当に可能かどうかとか、if文が壊れたときにそれを取り除き、新しいものと交換するためにはどうしたらよいかとかいったことに煩わされる必要はありません。ソフトウェアには、心配しなくてもよい問題が非常にたくさんあります。その分、プログラムを書くということは、動作する現実のものを設計することと比べて非常に簡単なのです。
今の話は、奇妙に感じられたかもしれません。皆さんはおそらく、ソフトウェアの設計がいかに難しいかとか、これがいかに大きな問題で、それをどう解いたらよいか考えているところだといった話を聞いたことがあるでしょう。こういう話は、私が今言ったことと同じ問題について話しているわけではありません。私が比較したのは、複雑さが同程度で、部品数が同じ物理システムとソフトウェアシステムです。私が言ったのは、ソフトウェアシステムは、物理システムよりもはるかに設計が簡単だということです。しかし、さまざまな分野に取り組む人々の知性は同程度です。では、易しい分野に直面した人々は、どのような行動を取るでしょうか。先に押していくのです! 私たちの能力を極限まで押し進めていくのです。同じ規模のシステムが簡単なら、10倍大きいシステムを作ろう。そうすれば、難しくなります。私たちがしているのは、そういうことです。私たちは、物理システムよりも部品数がはるかに多いソフトウェアシステムを作っています。
100万個もの異なる部品を使う設計の物理システムは、巨大プロジェクトです。それに対し、100万個の部品を持つコンピュータプログラムは、30万行くらいのものでしょう。それくらいなら、数人で2年もかければ書くことができます。特に巨大なプログラムだとは言えません。現在の GNU Emacs の設計には数百万個の部品が含まれており、コードの行数は100万行になっています。これが資金と言えるような資金なしで、主として余暇を活用して成し遂げられたプロジェクトなのです。
ソフトウェアには、もう1つ楽なところがあります。物理製品を設計したら、次に、それを製造するための工場を設計しなければなりません。工場を建設するためには、数百、数千万ドルがかかります。それに対し、プログラムのコピーを作るためにしなければならないことは、「copy」と入力することだけです。この同じ copy コマンドで任意のプログラムをコピーできます。CDの形のコピーがほしい? マスターCDを焼いて、CD工場に送るだけです。CD工場は、CDにどんなコンテンツが収められていても同じ装置でコピーすることができます。個々の製品のために専門の工場を建設する必要はないのです。これは、ものを設計する上で、非常に大きな単純化であり、非常に大きなコスト削減です。
自動車の新モデルの製造工場を建設するために5000万ドルを費やす自動車メーカーは、特許実施権の交渉のために数人の弁護士を雇うことができます。その気になれば、訴訟にも耐えられます。複雑さが同程度のプログラムの設計には、5万ドルから10万ドルしかかかりません。比較すれば、特許制度に対応するためのコストは圧倒的です。自動車の機械的な設計と同程度の複雑さを持つプログラムの設計は、実際、1か月ほどの仕事でしょう。自動車にはいくつの部品があるでしょうか。つまり、コンピュータを内蔵していなければという話ですが*1。私が言いたいのは、優れた自動車を設計することが簡単だということではありません。自動車の中には、それほどたくさんの部品が含まれているわけではないということです。
数学的なオブジェクトを操作する場合、設計ははるかに簡単になります。ですから、ソフトウェアは他の分野とは本当に違うのです。私たちは日常的に、他の分野よりもずっとずっと大規模なシステムをごく数人で作っています。私たちの世界では、1製品1特許からはほど遠く、すでに特許取得済みの無数のアイディアが1つの製品に詰め込まれています。
これは、交響曲に喩えて説明すれば、もっともわかりやすいでしょう。交響曲も長大で、多くの音符を含んでおり、おそらく無数の音楽的アイディアを使っています。1700年代のヨーロッパ政府が、交響曲の進歩を促進するために、言葉で表現できる音楽的アイディアに特許を与えるヨーロッパ音楽特許庁を設立することにしていたらどうなっていたでしょうか。
時代は1800年前後だとします。皆さんはベートーベンで、交響曲を書きたいと思っています。すると、優れた交響曲を書くことよりも、音楽特許を侵害せずに交響曲を書くほうが難しいことに気づくでしょう。
あなたは不平を言いますが、特許権者はこう言うでしょう。「ベートーベン君、君が文句を言っているのは、自分のアイディアがないからだよ。君がしたいと言っていることは、我々の発明を盗むということじゃないか」 ベートーベンは、実際にそうだったように、新しい音楽的アイディアをたくさん持っていましたが、認識できる音楽を作るためには、つまり、聴衆が好み、音楽として認識できる音楽を作るためには、多くの既存の音楽的アイディアを使わなければならなかったのです。音楽をまったく異なるものに発明し直し、人々が聞きたくなるようなものを作れるようなすごい人はいません。ピエール・ブレーズはそれをやってみようとしたと言いましたが、誰がピエール・ブレーズを聴くでしょうか。
コンピュータ科学全体を発明し直してまったく新しいものにすることができるようなすごい人はいません。もしそんなことをしても、ユーザーからはとても奇妙で使えないようなものを作ることになるでしょう。今日のワードプロセッサを見れば、数百もの異なる機能が含まれていることがわかるはずです。すばらしい画期的な新ワードプロセッサを開発したとして、つまり、いくつかの新しいアイディアが含まれているということですが、そのワードプロセッサには、数百の古いアイディアも含まれることになるでしょう。古いアイディアを使うことが許されなければ、革新的なワードプロセッサを作ることはできません。ソフトウェア開発の仕事は非常に大規模なので、新しいアイディアが生まれるのを促進するために人為的な制度を用意しておく必要はないのです。人々にソフトウェアを書かせておけば、彼らはきっと新しいアイディアを生み出します。皆さんがプログラムを書きたいと思い、それを優れたものにしたいと思うなら、きっといくつかのアイディアが浮かんでくるはずですし、その中のいくつかについては使い道が見つかるはずです。
私はソフトウェア特許が現れる前からソフトウェアの世界にいるのではっきり言えますが、以前は、ほとんどのプログラマは、自分でなかなかのものだと思えるような、尊敬や名誉に値すると思えるような新しいアイディアが生まれたら、必ず公表していたものです。あまりにも小さい、あるいはぱっとしないアイディアなら、ばかばかしいからいちいち公表しません。現在、特許制度は、アイディアの開示を奨励するためのものだとされています。実際には、昔でも、アイディアを秘密にしていた人はいません。コードを秘密にしていた人はいました。これは事実です。結局、仕事の大部分は、コードによって表現されるわけですから。雇われプログラマたちは、コードを秘密にしてアイディアを公表することにより、名誉を勝ち取るとともに、いい気分を味わっていました。
ソフトウェア特許が登場してから、彼らはコードを秘密にするとともに、アイディアに特許をかけました。ですから、まともな意味での情報開示は奨励されなくなったのです。以前秘密だったものは今でも秘密で、以前公表されていたアイディアは、今では特許の対象となり、20年もの間手の届かないものになってしまいます。
国はこのような状況を変えるために何ができるでしょうか。私たちはこの問題を解決するために政策をどのように変えたらよいのでしょうか。
手をつけられる場所は2つあります。1つは特許が発行される場所、すなわち特許庁で、もう1つは特許が適用される分野、つまり特許の対象となるのは何かという問題です。
たとえば、特許の発行基準を正しく保つ方法があります。今までソフトウェア特許を認めていない国、たとえばヨーロッパのほとんどの国がこれに当たります。欧州特許機構(EPO)の規則に、ソフトウェアは特許の対象とならないと明確に断りを入れておけば、ヨーロッパの場合には良い解決方法になります。ヨーロッパは今、ソフトウェア特許のEU指令を検討しています(指令の対象範囲はもっと広いものかもしれませんが、その中の柱の1つがソフトウェア特許であることは間違いありません)。単純にこの指令に変更を加え、ソフトウェアのアイディアには特許を与えられないと規定すれば、ヨーロッパのほとんどの地域では問題をシャットアウトできます。ただし、いくつかの国はすでにソフトウェア特許を認めているので例外になります。皆さんには残念なことですが、英国もその1つです。
アメリカではこのアプローチは通用しません。というのは、アメリカにはすでに大量のソフトウェア特許があるからです。ですから、特許の発行基準に変更を加えても、既存の特許を取り除くことはできません*2。したがって、アメリカでの問題解決方法は、特許の適用範囲を変更することでなければなりません。ソフトウェアによる純粋な実装、汎用コンピュータハードウェア上での実行は、それ自体では特許の侵害とはならず、特許の対象にはならないと規定すれば、ソフトウェアを開発したからといって訴えられるようなことはなくなるでしょう。これがもう1つの解決方法です。
第1の解決方法、どのような種類の特許が有効になるかについての解決方法は、ヨーロッパでうまく機能するはずです。
アメリカがソフトウェア特許を認め始めた頃、政策論争はまったくありませんでした。実際のところ、誰も問題に気づかなかったのです。ソフトウェアの世界の大半が、問題に気づきもしませんでした。1981年、最高裁はゴムの加硫処理の特許案件について判決を下しました。この判決は、加硫処理装置の一部にコンピュータとプログラムが含まれているからといって特許の対象にならないわけではないというものでした。次の年、すべての特許案件を扱う上訴裁判所が、限定語を逆転させました。つまり、コンピュータとプログラムが含まれていれば、特許の対象になるとしたのです。何であれ、コンピュータとプログラムが使われていれば特許の対象になるのです。アメリカで業務手続に特許を認め始めたのはそのためです。業務手続はコンピュータで遂行されますから、特許対象内になったのです。
この判決がこのときのものですから、自然順序再計算特許は、ソフトウェア特許の中でも最初のほうのもの、あるいは最初のものだったのではないかと思います。80年代を通じて、私たちはこの問題を知りませんでした。アメリカのプログラマがソフトウェア特許の危険性に直面して意識的になり始めたのは、1990年前後でした。私は、ソフトウェア特許以前の現場と以後の現場の両方を知っていますが、1990年以降、作業が特に高速化されたということはありません。
アメリカには政策論争はありませんでしたが、ヨーロッパには大きな政策論争がありました。数年前、欧州特許機構を設立したミュンヘン条約の改正問題がありました。ミュンヘン条約には、ソフトウェアは特許不能という条項が含まれていましたが、改正派は、ソフトウェア特許を認めるよう圧力をかけてきたのです。しかし、コミュニティはこの動きに気づきました。実際に、闘いを導いたのは、フリーソフトウェア開発者とフリーソフトウェアユーザーでした。しかし、ソフトウェア特許によって脅かされるのは、私たちだけではありません。すべてのソフトウェア開発者がソフトウェア特許によって脅かされますし、ソフトウェアユーザーでさえ脅かされるのです。
たとえば、ポール・ヘッケルは、Appleが彼の脅迫にそれほど脅威を感じていなかった時期に、Apple ユーザーを訴えると脅しをかけました。Appleは、これには大きな脅威を感じました。最終的に勝訴できたとしても、このようにしてユーザーが訴えられたのでは、会社がもたないと考えたのです。ここからもわかるように、開発者を攻撃するための手段として、純粋にユーザーからお金を搾り取るため、さらには騒ぎを起こすために、ユーザーが訴えられる可能性はあります。すべてのソフトウェア開発者とユーザーは、特許侵害の訴えを起こされる危険性を持っているのです。
しかし、ヨーロッパで反対運動をリードしたのは、フリーソフトウェアコミュニティでした。実際、現在のところ、欧州特許機構加盟国のうち、条約の修正に反対している国は賛成している国の2倍あります。その後、EUが乗り出しましたが、この問題を扱う欧州委員会の担当総局は分かれています。ソフトウェアの奨励を仕事としている担当総局は、ソフトウェア特許に反対しているように見えますが、この問題にあまり熱心ではありませんでした。熱心だったのは域内市場担当総局で、ソフトウェア特許に好意的な人々によって牛耳られていました。彼らは、基本的に自分たちに向けて表明された世論を無視しました。彼らは、ソフトウェア特許を認める方向を提案したのです*3。
フランス政府は、すでにソフトウェア特許への反対を表明しています。人々は、ヨーロッパの他の各国政府に対してソフトウェア特許に反対するよう働きかけていますが、その運動がはじまったのがここ、イギリスであることは非常に重要なことです。ヨーロッパにおけるソフトウェア特許反対運動のリーダーの1人であるハートマット・ピルチによれば、彼らの運動の最大の動因になっているのは、英国特許庁です。英国特許庁は、単純にソフトウェア特許に肩入れをしています。英国特許庁は公開協議を行いましたが、回答の大半はソフトウェア特許に反対でその後、英国特許庁は、これらの回答を完全に無視し、国民はソフトウェア特許に賛成しているとする報告書を書きました。フリーソフトウェアコミュニティは、「回答は特許庁と私たちの両方に送ってください」と呼びかけています。コミュニティで回答を公表すれば、特許庁の見解の反対になります。英国特許庁が発表している報告書から、世論の動向を知ろうとしてはなりません。
彼らは、「技術的効果」という用語を使います。この用語は、どこまでも引き伸ばせる便利な言葉です。技術的効果と言われれば、プログラムのアイディアに特許を与えられるのは、具体的な物理的動作に対応している場合に限られると思うのが普通でしょう。そういう解釈であれば、問題はほとんど解決できます。特許を与えられるソフトウェア上のアイディアというものが、プログラムを使わなくても特許を与えられるような特定の技術的物理的結果と結び付いていることであれば、問題はありません。問題は、用語を引き伸ばして使うことです。任意のプログラムを実行して得られる結果を物理的な結果と称することができてしまうことです。この物理的結果なるものは、他の結果とどこが異なるのでしょうか。コンピュータ処理の結果だということに過ぎません。このように、英国特許庁は、問題をほとんど解決するかに見えるようなものを提案することによって、ほとんど何にでも特許を与えられる白紙委任状を与えようとしているのです。
同じ省庁の人々が著作権問題にも携わっていますが、著作権とソフトウェア特許は、同じ人が処理しているということを除けば、まったく無関係です(おそらく、「知的財産権」という用語によって、2つの問題をひとまとめにしてしまったのでしょう)。EUは、米国のデジタルミレニアム著作権法(DMCA)によく似た恐ろしい指令を出しましたが、それの解釈が問題です。国によってそれを具体化する方法には、ある程度の自由があります。英国は、この指令を具体化するための方法としてはもっとも厳格なものを提案していますが、具体化の方法次第では、指令の害を大幅に緩和できます。英国は、この指令の専制的な効果を最大限に引き出したがっています。特定のグループ――通商産業省でしょうか――については、歩調を緩めさせる必要があるようです。彼らの活動にチェックを入れ、権力の新しい形を作り出すのを止めさせなければなりません。
ソフトウェア特許はすべてのソフトウェア開発者とすべてのコンピュータユーザーを新しい形の規制に縛り付けます。コンピュータを使っている産業が、これによってどれだけ大きな障害が生まれるかを認識すれば、彼らも立ち上がるでしょうし、この動きを阻止できると思います。産業は、規制に縛られるのを好むものではありません。もちろん、官僚たちには重要な役割があります。英国政府には、動物の運搬など*4、産業の規制に関してよりていねいな仕事をしてほしかった分野がいくつかあります。しかし、人工的な独占を作り出して、ソフトウェア開発を妨害できる人物を作り出すような、その人物によって開発者やユーザーがお金を搾り取られるような効果しか見込めないような規制は、断固として拒否すべきです。私たちは、ソフトウェア特許が企業に及ぼす影響を経営者たちに意識させ、ヨーロッパにおけるソフトウェア特許反対運動を支援するよう経営者たちに仕向ける必要があります。
闘いは終わっていません。まだ勝つことはできます。
初出:2002年3月25日にロンドンのケンブリッジ大学で行われた講演。このバージョンは、"Free Software, Free Society: Selected Essays of Richard M. Stallman", 2002, GNU Press (http://www.gnupress.org/); ISBN 1-882114-98-1の一部である。
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