令和3(2021)年司法試験予備試験論文再現答案一般教養科目

再現答案

〔設問1〕

 本文における筆者の主張は、文学に関して存在する、文学とは誰もが読むべきものだという前提と、文学とは誰にでも読めるものだという前提を、ともに否定するというものである。

 文学とは面白いから読むものである。その文学を享受することは、歴史的に、少数者の特権であったのであるが、民主主義の時代になってから、ふつうの人たちも文学を享受しようとしたのである。

 文学を読むということは、字面を追ったりあらすじを把握したりすることではなく、文学を面白く読むということである。文学を面白く読めるということは幸福を知ることと同義である。文学を実際に読んでいる人の中で、幸福を知り文学を面白く読んでいる人は少数であり、多くの人は幸福を知らずその外観にしがみついて文学を読む人もいる。だからこそ、幸福を知り文学を面白く読めることは貴重なのである。

 

〔設問2〕

 私は、本文における筆者の主張に対して反対し、文学とは誰もが読むべきものであり、誰にでも読めるものだと主張する。

 後者から先に述べる。ここで文学を読めるということは、筆者が主張しているのと同じように、文学を面白く読め、幸福を知ることである。ただし、文学とは、出版社から正式に出版された紙の本に限らず、インターネット上の文字も含む。文学にとって、文字が紙媒体に載せられるということが本質的であるはずはない。現代において、事実上誰もが、SNS等のインターネット上の文字を面白く読んでいる。インターネット上には多種多様な書き手が存在し、自分の幸福に合ったものが存在するのである。

 誰にでも文学を読めるのだとすると、誰もが文学を読むべきであり、強制されなくても読むはずである。確かに伝統的には少数者しか文学を享受できなかったのであるが、現代では、生産力の増大とともに、余暇時間も増えており、原理的にはすべての人に文学を読む時間を確保することもできる。労働に追われるなどしてどう工夫しても文学を読む時間を作れないのだとしたら、それは不幸なことである。

 以上より、私は、文学とは誰もが読むべきものであり、誰にでも読めるものだと主張する。

 

感想

 今年は初めて読むような内容でした。著者の皮肉的な部分は敢えて削ぎ落として平板に記述しましたが、どう評価されるかは不明です。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です